街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

機種変

2008-07-11 08:09:47 | Weblog

 これが今まで使用していた携帯の最後の写真である。ブログネタ用にはだいぶ役に立ってくれた。画素数が少ないために本意ではなかったがフィルムから焼付けをし、写真としてスキャンするにはあまりにも時間を取り過ぎる。しかしいい写真は撮れるものだ。例を言えば琵琶湖一周の写真である。
 今回をきっかけとしてデジカメを購入し、また、携帯も機種変しすこしながらバージョンアップしたようである。
 ただ問題はブログネタを探しに行くことが出来ないでいる今の自分にある。どうしたものか。デジカメを購入して二週間が過ぎるがまだ一枚も撮ってないのである。なんともはやだ。機種変した携帯でも一枚も撮っていないのである。いい機会がないものか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩往還

2008-07-06 00:51:47 | 街道関連

 佐々並の写真はこれで終わってしまった。携帯で写していたがバッテリーがいかれてしまってこれ以上写せなくなってしまった。本来ならば山口市までの萩往還の名残を写すつもりだった。で、デジカメを購入したので何時しか機会を得て撮りに行こうと思う。街道に興味を寄せている皆さんであれば既にご存知かもしれないが。
 旭村佐々並の閑静なる佇まいをこれらの画面から少しでも感じ取っていただければ幸いである。また、行ってみたいという気持ちになってくれればなおさらである。
 今回は父への思いと母との貴重な時間過ごせたことに感謝してこれらの稿を閉じよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩往還

2008-07-05 08:23:07 | 街道関連

 佐々並の佇まいである。道の真ん中を溝が奔るふしぎな街である。道幅が広く軒が少々低いために全体がすっきりとして好感が持てる。
 山間部独特なすずしさが歩く二人を涼やかにしている。空気は澄み渡り肺の奥まですっきりとするのがよくわかる。もうすこし時間をかけてゆっくりと歩いてみたい所である。時間が止まっているかのように感じるけれども。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩往還

2008-07-04 07:58:40 | 街道関連
 萩から往還を行く。石畳が各地に残り殆どの往還が残っていると言っても過言ではない。石畳は萩の外れから山口市の外れにある瑠璃光寺から一ノ坂ダムの上流まで続いている。この間約40キロほどで、きれいに保存されている。
 途中、佐々並に寄る。舞谷川に沿って街並みが形成され、波を立てて流れる川を渡るとこの風景である。道路に特徴があって真ん中に溝がある。水の流れは豊かで山間部らしさを見せている。ただ車だと走りにくい。ゴトゴト言わせて走らねばならない。道はここから左へ鉤状に曲がり、山間へと進んでゆく。静かで趣のある地である。残念ながら携帯のバッテリーがいかれているため後二、三枚しか撮ることができなかった。今後また訪れることがあることを期待してその佇まいを脳裏に焼き付けることにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陰道(北浦街道)

2008-07-03 09:29:00 | 街道関連

 奈古に着いた。気が焦って足早になった。あれ、見当たらんな。母が後ろから「この家やなかったかね」 あれ、行き過ぎたか。ところがだ、門扉が変わっているし、その彼がいない。引っ越してしまったのか。よく見ると玄関も変わっている。庭の様も変わっている。あーあ、せっかく来たのにがっかりだ。母も同様である。どうしようもない。すぐに踵を廻らせ二人でぶつぶつ言いながら萩へと向かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陰道(北浦街道)

2008-07-02 13:08:33 | 街道関連

 今浦を一周してきた。向うに私の車が見える。この建物は横にも縦にも長く収まらない。前面の道が狭いためでもある。
 しっとりとして落ち着いた街並みである。まだまだこのような地が残るのは本当に嬉しいことだし、それを見つけて歩くことができるのは又格別である。
 少しではあるがそれらを紹介できるというのも私にとっても嬉しい。
 皆さんがご存知の場所を紹介しても二番、或いは三番煎じとなって興味も湧かないと思われるが、逆にいくらでもこのような地が残されているのだということを知ってもらうことができればと思う。私のような少数派ブログを見ていただき少しでも心に何か残してもらえれば幸いである。
 しかし、この地を母と一緒に訪れることが出来たのは父親が亡くなったことにほかならないことを忘れることはないであろう。
 さて、奈古に向かいあの彼に会うとしよう。母も期待している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陰道(北浦街道)

2008-07-01 07:42:36 | 街道関連

海のほうを回ってまた大きな建物を見つけた。杉板で覆われた倉庫のようだ。ここは最初に入口で見た屋敷の裏であった。この倉庫様な建物が横いっぱいに広がって画面に入らない。やはり元は網元じゃあないのかなと二人で確信したのである。瓦はオレンジ色の石州瓦である。石州瓦で思うのは我々は寺の大屋根に葺かれている瓦の色は黒であるという意識があったので、この地方の寺の屋根がオレンジ色なので重厚さを感じなかった。と言う記憶がある。少し違和感がある。それを除けばすばらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする