この古墳は4世紀の終わり頃に造られたと言うことである。残念なことに盗掘されている。
本来なら後円部頂頭部より石棺が収められていて、所謂、羨道などは無い。
大和政権と深い結びつきがあったようで、それを象徴する遺物も発掘されている。
説明会に参加されているボランティアの方々は彼の地を邪馬台国に比定したいようだが、それには難がある。北部九州には邪馬台国の比定地が数箇所存在するが、贔屓であろう。皆自分の地が邪馬台国であったと言う。
彼の地にあっては、邪馬台国までの国名が表れるが、その中の一つであったであろうと思われる。又、神功皇后に由来する地名があり、稲を積んでお休みしていただいたと言うことから「稲築」(いなつきと読む)があり、神功皇后が休んだのであろう「御腰掛の石」といわれる場所が各地に点在する。その様に足跡を残すが、架空の人物なので有り得ないのだが、何らかのことがあって大和政権との関わりが見えてくるのである。
空は何処までも青く澄み渡り気持ちが良い。機会を作ってでも見ていただけたらと思う地である。
遠賀川流域に点在する古墳見学に行ってきた。と言うよりは例によって伯母の家事をするために出かけたついでに寄ったのである。10月20日21日は8箇所の古墳を開放する。年に二回行っているが、既に8箇所は数年前に訪れている。この時期は前方後円墳、円墳、横穴群集墓、有名な装飾古墳(王塚古墳、竹原古墳)を見せている。
特に沖出古墳はご覧のように復元している。日本でもまだ数箇所しかない。五色塚古墳がそれで有名である。ここの風景が好きで、伯母の家に行く前少し時間の余裕を持って訪れている。今日は母と一緒である。我々が着いたとほぼ同時にマイクロバスで集団がやってきた。ここ最近は全国からツアーでやってくるらしい。いいことである。殆どの方々が年配ではあるが熱心な方々ばかりとお見受けする。
この時期気候も良く、秋天好日空は抜けるようである。
川棚温泉方面から菊川の中心に向かう途中にある植松一号古墳である。ご覧のように歪になってしまっている。円墳だったのか朝鮮式マウンドだったのか現物を見ただけでは何が何だかわからない。
この菊川に私の知り合いがいるのだが、この古墳が在ることさえ知らないでいた。興味がなけれが当たり前のことかもしれないが、自治体はもう少し文化財を報しめ、大事に扱ってもらいたいと思った。
この柵で囲ったこの古墳を植松古墳公園としているが、公園などと名をつけるなどもっての他で、遊ぶ所などあるわけでもなく、登って遊ぶのか、管理しようなど思っていないのではないか、と憤りを感じてしまった。ここに眠ったであろう者はうかばれないであろう。
一号と言うからにはこの付近に二号三号とあったのではないかと思われるが、そのあったであろう説明もない。なんとも情けない。
何処まで行っても静かな佇まいである。我々三人がただはしゃいでいる。ここに住む方たちはこれが日常なのだから。さわやかに空気が流れ、次々に身体を取り巻いては新鮮な空気に入れ替わる。この心地良さは、この地に立ってみないと絶対に判りえない。それは街道が持つ独特な空気なのである。総てが異なり、総てが同じなのである。
秋天好日。気候もよくなり、またぞろ歩きたくなってきた。この虫は年に二三度しか起きないようだ。もう少し元気な虫でないといけないなと、何時も今時分思うのである。コスモス畑が綺麗だろうな。地上低きにコスモス、天高きに抜ける青、青中たなびく白雲と、心は既にうわの空である。
秋天好日。気候もよくなり、またぞろ歩きたくなってきた。この虫は年に二三度しか起きないようだ。もう少し元気な虫でないといけないなと、何時も今時分思うのである。コスモス畑が綺麗だろうな。地上低きにコスモス、天高きに抜ける青、青中たなびく白雲と、心は既にうわの空である。
振り返ってみると街道は真直ぐではなく緩く弓なりになっている。この自然のような緩さがなんとも言えず好きだ。城下町では直線が其々に交叉し、又は鉤状になっているし、家々は鋸の刃の状態で、互い違いに建てられている。それは防衛上の問題であったであろうが、田舎ともなればそこまでする必要性が無かったのかもしれん。しかし、主要な所は真直ぐ行けば必ず突き当たって左右に折れる。当然とも言うべきか。
現代の道は利便性が優先するものだから面白くも可笑しくも無い。街道は突き当たってみるまで予測がつかない。ここにこそその楽しみが有るというものだ。これは新鮮さを感じるし、胸がわくわくする。そうして曲がってみると期待通りのものが現れたときなどは正に感動ものである。(写真:街道の正面に立ちはだかっている家に突き当たって左に折れた瞬間)
現代の道は利便性が優先するものだから面白くも可笑しくも無い。街道は突き当たってみるまで予測がつかない。ここにこそその楽しみが有るというものだ。これは新鮮さを感じるし、胸がわくわくする。そうして曲がってみると期待通りのものが現れたときなどは正に感動ものである。(写真:街道の正面に立ちはだかっている家に突き当たって左に折れた瞬間)
ここ奈古はこれといって目に惹くものは無いのではあるが、どこか懐かしさを感じさせてくれる街並みを持っている。それは、私だけが感じると言うものではないであろう。萩のように何処に行っても人が歩いているわけではない。少し頭をかしげて地の人が通り過ぎるだけで、空気みたいなものである。よそ者がのさばって歩いているな、などという目つきは少しも無い。我々も空気みたいなものなのであろう。ここの佇まいは森閑として、我々の時間が止まっているかのようであった。
商家は殆ど無く街道筋の町屋が並ぶ。格子窓を持つ家が多く、その格子も間隙が狭い。その姿は美しいといえる。数軒しか残っていないのだが当時の面影を色濃く残す。基礎に石を組みその上に母屋が立つ。質素な造りだが気持ちが好い。(写真:奈古)
商家は殆ど無く街道筋の町屋が並ぶ。格子窓を持つ家が多く、その格子も間隙が狭い。その姿は美しいといえる。数軒しか残っていないのだが当時の面影を色濃く残す。基礎に石を組みその上に母屋が立つ。質素な造りだが気持ちが好い。(写真:奈古)
不思議なことに人間なにがしか取柄が有るものだ。私は人相が悪いので、まず第一印象で他人から敬遠される。また甥や姪にはうるさく言ったものだから既に嫌われている。まず好かれることはない。しかし、特に犬には好かれるのである。犬は人の顔を見て判断するわけではなく、その匂いで判断するのであろう。私が大の犬好きフェロモンを発しているのであろう。私の母も犬好きなのだが、柴から見ると私のほうがそれが強いのであろう。母と二人で並んでいると私ばかりに擦り寄ってくるのだ。おもしろい。これが私の唯一の取柄である。
さて、柴に時間を喰われてしまった。この柴の家の前を街道が走り、向うでT字路になる。それを左に折れ、弓のようにゆるく右に曲がる道となり、川にあたる手前で右に直角に折れる。また、弓のようにゆるく右に曲がる道となり、またT字路となる。右に折れると漁港、左に折れると街道本道で、それは萩へと続く。
この日の空はどんよりとして日差しが弱ったが清々しく感じたのは私だけでなく母も妻もそう感じたであろう。最初のT字路で踵を返し車に戻った。当然と言えば当然だが、柴にちゃんと挨拶をして帰ったのは言うまでも無かろう。(写真:奈古)[続く] PS そろそろ街道を歩きませんか
さて、柴に時間を喰われてしまった。この柴の家の前を街道が走り、向うでT字路になる。それを左に折れ、弓のようにゆるく右に曲がる道となり、川にあたる手前で右に直角に折れる。また、弓のようにゆるく右に曲がる道となり、またT字路となる。右に折れると漁港、左に折れると街道本道で、それは萩へと続く。
この日の空はどんよりとして日差しが弱ったが清々しく感じたのは私だけでなく母も妻もそう感じたであろう。最初のT字路で踵を返し車に戻った。当然と言えば当然だが、柴にちゃんと挨拶をして帰ったのは言うまでも無かろう。(写真:奈古)[続く] PS そろそろ街道を歩きませんか
この地名を見てどれだけの人がここだと判るであろうか。
この地は山口県萩市より国道191号を約10キロ北上したところに位置する。この191号が味気なくこの地を縦断し、あっと言う間に過ぎていくため存在すら気づかないように思われる。ところがである。
奈古駅前の道から海側に約200メートルも行くと、国道に並走した旧道にあたる。それを左に折れると私が期待していた風景が目の中に鮮やかに飛び込んでくるのである。勿論道の両脇にはその佇まいが残り、心を和ませてくれるのである。本道から分かれる路地を抜けるとそこはもう海、漁港となる。
彼の地は山口県萩から島根県益田までの約60キロの北浦街道(この名は地図による)の中核を成していたと思われる。
車を置いて久しぶりに街道を歩くと心が弾むのだ。自分でもなぜか笑いが出る。いい気分である。そうして歩いていると、後ろから母が声を掛けて来た。人の家の玄関前にしゃがみこんでしきりに手を伸ばして話しかけている。「柴犬がおるよ」
この一声で踵を返し見てみると、なんともはや、人懐っこいころころとした愛嬌のある柴がいる。思わず手を差し出すと嘗め回すは、甘噛みするは、前足でこっちにこいと催促するは、はては立って私を仲間のように歓迎してくれた。母はその仕草があまりにも可愛かったので「連れて帰りたいね」とも言ったくらいなのだ。(写真:柴)
この地は山口県萩市より国道191号を約10キロ北上したところに位置する。この191号が味気なくこの地を縦断し、あっと言う間に過ぎていくため存在すら気づかないように思われる。ところがである。
奈古駅前の道から海側に約200メートルも行くと、国道に並走した旧道にあたる。それを左に折れると私が期待していた風景が目の中に鮮やかに飛び込んでくるのである。勿論道の両脇にはその佇まいが残り、心を和ませてくれるのである。本道から分かれる路地を抜けるとそこはもう海、漁港となる。
彼の地は山口県萩から島根県益田までの約60キロの北浦街道(この名は地図による)の中核を成していたと思われる。
車を置いて久しぶりに街道を歩くと心が弾むのだ。自分でもなぜか笑いが出る。いい気分である。そうして歩いていると、後ろから母が声を掛けて来た。人の家の玄関前にしゃがみこんでしきりに手を伸ばして話しかけている。「柴犬がおるよ」
この一声で踵を返し見てみると、なんともはや、人懐っこいころころとした愛嬌のある柴がいる。思わず手を差し出すと嘗め回すは、甘噛みするは、前足でこっちにこいと催促するは、はては立って私を仲間のように歓迎してくれた。母はその仕草があまりにも可愛かったので「連れて帰りたいね」とも言ったくらいなのだ。(写真:柴)