賢明なる読者諸氏ならばもうお気づきのことだろうと思うのだが・・・実はしとしとと雨が降っている。これでは先に進めないのでどうしようかと思案橋である。写真を撮った後カッパを着て走ろうと決意したのではあるが。その後10分もしないうちに雨が上がった。カッパを着たままでは暑くなったことは言うまでもない。
賢明なる読者諸氏ならばもうお気づきのことだろうと思うのだが・・・実はしとしとと雨が降っている。これでは先に進めないのでどうしようかと思案橋である。写真を撮った後カッパを着て走ろうと決意したのではあるが。その後10分もしないうちに雨が上がった。カッパを着たままでは暑くなったことは言うまでもない。
花が五角形、或は五芒星形の葉が(もみじ)に似ていることから「モミジバルコウソウ(紅葉葉縷紅草)」
写真でもお判りのように星形の花をつけるものの葉は狭線形である。花芽が沢山ついてきたので開花時期の盛りはこれからである。
小倉城 1264年初めての築城で勝山城と言われていた。九州の玄関口、関門海峡を抑える要衝であったために抗争の地になっていた。
1587年毛利勝信が入城していたが、関が原で戦っている留守中に黒田如水に攻略されてしまった。
関が原後は細川忠興が中津より出てきてここを本城とした。
1632年細川は肥後へ転封 代わって譜代の小笠原忠真が豊前15万石の城主となった。以後幕末まで小笠原が継承するのだが慶応二年(1866年)第二次征長の際孤立し、ついには城に火を放って退去してしまった。城は焼け落ち、城下町も荒廃してしまったのである。
148の櫓が立ち並び、破風がなく、四重目より五重目のほうが外側に張り出した特異な姿の天守は、南蛮造りとか唐造りと呼ばれて、津山城や高松城の手本とされたといわれる。