すぐそこを国道208号が走り、道を挟んでNTTのビルがある。それほど街の中にある。
潮風で錆びることなく使用できるというのがコンクリート橋の長所である。かの余部鉄橋がコンクリート橋に取って代わられたというのがお判りであろう。
この先の海に父の遺骨を散骨した。父も喜んでいることだろう。そのうちに母も我輩も父と同じ所に行く。さらに喜んでくれるだろう。我輩の愛犬も今か今かと待っているのかもしれん。
鉄道ファンなら知らない人はまずいないだろう。これを鉄橋という鉄道ファンもいるようだが・・・馬鹿なファンもいるぞ。ディーゼルカーに乗っているにも関わらず電車電車という馬鹿がいるからどうしようもないかもな。
熊本県玉名市 街中にありご覧のように肩身の狭い思いをしながらも佇んでいる。手厚い保存整備というものができなかったのか・・・なんだかな。市指定史跡なんだからどうかならんもんかね。
それに説明文もそうである。「奥室(高さ二五メートル)」墳頂を突き出ているぞ。読み返すとか誰か校正を入れるとか考えなかったのか。いい加減だ。ここだけではないが指定史跡とは言葉だけのようだな。
6月23日は父の命日で九年目を迎える。向こうに見える橋梁は山陰本線宇田郷惣郷のコンクリート橋梁である(鉄橋ではない。念のため)。今では細流なのだが惣郷を貫いて日本海へと注ぐ。この川がごく小さな扇状地を作っている。上流から運ばれてきた岩石がこぶし大のおおきさまでになり波に洗われている。
その波打ち際ギリギリの線の真上を山陰本線が走っている。
何故父の命日にここまで来るのかといえば父がその母の生まれ故郷を見たかった故にである。生きているうちに見ることができなかった父の遺骨を母の生まれ故郷に散骨したのである。
それで母も我輩もここに散骨してもらうべく子供にはそう告げている。
四十年も前になるが、橋の袂に車が停められている場所で野宿をしたのだが、まさか父が訪れたかった場所だったとは夢にも思わず父が亡くなってから初めて知ったのである。
向かって左 天野清三郎 右 野村和作
向かって左 高杉晋作 真ん中 吉田松陰 右 久坂玄瑞 我輩のように興味のない人間であってもまずは知らない人はいまい。
萩往還公園にある銅像 以前この道は有料道路だった。今では無料になった。交通量が多い。
この方面を走るときは決まってトイレ駐車に利用する。
ここには10体の銅像がある。有名人もいれば知る人ぞ知ると言った者もいる。
今はNHKの大河ドラマでやっているので有名になっているかもしれんな。はっきり言って我輩は全く興味がないので・・・
このふたりの名前は向かって左が品川弥二郎 右が山田顕義
銅像を見ても判らんので写真を見てみよう。向かって左が 山縣有朋 真ん中が 木戸孝允 そして 伊藤博文 この三人を知らない人はまずいないだろうな。