神仏混合なのだろうな。
我輩は歩きだから駐車場は関係ないのだが、古墳周囲の様子を見てみようと思ったのだ。
前方後円墳なのだがその形状は完全に消滅している。ただ、主体部が残されていることは有難く、また、その装飾を目の当たりにすれば今までとは異なるものを体験するぞ。
権現塚古墳(福岡県)
100mを優に超す大円墳である。ただ三重の周濠がその径を大きくしている。主墳は55mの円墳ではある。6世紀中頃に築造されたものと見られている。説明にもあるように主体部は調査されていないので明確なことは判っていない。時代的には横穴式石室を持つのであろうがこれほどの大きさなのだから、計り知れないほどの石室なのではなかろうか。今からでもいいから調査してくれよ。陸橋があるので入って行くとすぐに二重目の周濠があり、行く手を遮る。
当該ブログの記事は平成28年(2016)9月20日から26日までである。
岩国城は毛利元就の孫に当る吉川広家によって築かれた。広家は毛利家から周防国玖珂、大島郡を領地として与えられ、新たに築かれたのが岩国城である。城が築かれている横山は屏風に似た険しい山で、また取りまく錦川が天然の外堀となっている。普請はおよそ12年ほどかかってしまったが、完成後二年も経ったか経ってないかの1615年(元和元年)徳川幕府による一国一城令が出されたことにより取り壊さざるをえなくなった。主家である毛利家でも長府城、山口城の廃止を決定し、ついでに岩国城も廃止を決めたのである。広家はしぶしぶ廃止を決定したものである。現在の天守は昭和37年に復元されたものである。桃山風南蛮造りと言われる独特の構造で、三重目の下層が上層より外に大きくはみ出している。