苅田町役場裏 歴史資料館横 石塚山古墳(最古式の前方後円墳 3C末、箸墓にならぶ 三角縁神獣鏡出土、墳長110m)
鷹取宮を訪ねに例の彼と母と三人で出かけた。例の彼が鷹取宮に行ってみたいというのでそうなったわけだが、目的を達成できずに我輩の好みの場所を訪ねることになってしまった。
当たり前のように石室があればズンズン行こうという心構えだ。左足を踏み出そうとした瞬間「えっ」「えー」久しぶりに腰が引けた瞬間である。「お お前そげなところでなんばしよっとや」三歩も四歩も五歩も後ずさりした。後ずさりして母を呼びに行った「来てんね 来てんね」「どうしたん」訝しそうにしながらも着いて来る。
フラッシュをたいて撮った写真である。花崗岩とは思えないほどの美しさである。
懐中電灯の光である。外からの自然光で淡く青みがかった石室内部がお判りいただけるだろうか。
貴船神社境内にある 前方後円墳のように見える。後円部は四分の一しか残っていない。
石室の床面がはっきりしない。大きな石を何段かに積んで床基礎を造っているようだ。
狭いが複式の石室である。
破壊された古墳近くの家の外周である。見れば判ると言っておこう。
新下関駅に近づいてきた。まだまだ古墳はある。しかし天気がいい。
合併する前 これを作った人は真面目な人だったのだろう。勝山町の史跡を知らせたかったのだろう。
しかし、判りにくい。あれもこれもと一度に知らしめようとした気持ちは判らないでもないが。
簡潔になりすぎた感がある。が、しかし、確実に知らせることで興味を持ってもらえることを期待しているかのようだ。
だいぶ下まで下りて来た。ここからまた一旦上の道まで戻らなければならない。別に道があるわけでなし、見当をつけながら適当に上がって行かなければならない。
と、また、石室が開口している。