水が美味かったな。温泉水なのかな・・
風呂も気持ちが良かった。美肌の湯・・我輩には縁が無いがな。眠りにつくのだが、こんなことになるとは思いもしないし、今日一日いろんなことをいっぺんに経験してしまった。人に迷惑をかけてはいかんぞ。反省、反省。
水が美味かったな。温泉水なのかな・・
風呂も気持ちが良かった。美肌の湯・・我輩には縁が無いがな。眠りにつくのだが、こんなことになるとは思いもしないし、今日一日いろんなことをいっぺんに経験してしまった。人に迷惑をかけてはいかんぞ。反省、反省。
おっ、久しぶりか。心配したぞ。飼育係としては米が無くなったのでパン粉に替えたのだが・・・うーむ、それがまずかったのか、しばらく姿を見なかったな。
こうして斥候と物怖じしない子だけでも来てくれれば有り難い。そのうちいっぱい寄って来るようになるだろう。
君らだけでも嬉しいぞ。
花は大きく咲いてくれたし、葉も艶があってなかなかいい・・・・
薬剤散布したのだが、不十分であった。
蟻がせっせと世話をしている。こんな姿は見たくもないがな。
後円部の半分ほどが無残にも削られている。
前方部を見ている。括れの部分がお判りになると思う。古墳周囲には三重の濠が巡らされていたということに驚きを隠せないのは我輩だけだろうか。
ここで少し・・この古墳の主は・・・当該古墳は5世紀半に築造されているということから倭の五王の時代の真っただ中であるということだ。讃は421年 425年 430年 宋が建国(420年)された翌年に遣使している。遣使については半島出身で、百済との結びつきの強固な者であり、それが筑紫の者であれば魏志倭人伝以来半島との関係を継続していたと思われ、遣使には持って来いの人物であったろう。
話は別だが、日本書紀 仁徳天皇 12年7月3日 高麗国が鉄の盾、鉄の的を奉った。8月10日には高麗の遣使や群臣百寮を集めて高麗の奉った鉄の盾・的を試した。多くの人が的を射通すことが出来なかった。ただ的臣の祖(いくはのおみのそ)の盾人宿禰(たてひとのすくね)だけが鉄の的を射通した。高麗の客人たちはその弓射る力の優れたのを見て共に起って拝礼をした。翌日、盾人宿禰を褒めて的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)の名を賜った。とある。この場にいた仁徳天皇は彼を寵臣の一人として見ただろう。我輩はこの的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)の関係者ではないのかと思ったりもした。
旅館の玄関でへたり込んでしまっていつの間にか仰向けに倒れていたのである。と言うより失神していたようだ。気がついて起き上がり、宿帳に記帳して部屋に案内してもらった。二階の部屋だったのだが、階段を上るのが余りにも大変で足があがらないは壁にある手すりを鎖の様にしてつたってようやく辿り着いた。案内してくれたのが女将だったから手を差し出すわけにもいかなかったろうし、コロナ禍だからな。
部屋に入り、女将が「これが熱い方で、こちらが冷たい水です」「うん」と言ったとたんたまらず横になったのだが・・40分程気を失ったようだ。気がつくと仲居さんが来ていて「隣の部屋にお食事の用意が出来ていますので」
「あー有難う。そうだ、ビール」「ビールが飲めるのならもう大丈夫ですね。キリンが良いですか、アサヒが良いですか」「おー。キリンをくれ」
あまり食べることが出来なくて半分近く残してしまった。食事が終わった旨をフロントに告げる際に謝ったけどね。
なんだろう・・・
ハイビスカスの裏側に蟻がたかっている。
うわー!アブラムシだ。通りで蟻がせっせと世話している筈だ。即座に散水して蟻やアブラムシを落したが水に当たらない個所もあるから薬剤を散布した。よく見ると葉にもついている。早々に薬剤散布をしなければなるまい。
何もこんな暑い時にパトロールしなくてもいいのに。律儀なんだな。だから友達なんだな。
サッシの下を時々蟻がうろうろしているもんだからそれを狙っているのかな。
おっ、何処行くとや。パトロールご苦労様です。
後円部 墳頂は削平されて建物がある。本来竪穴式石室があって石棺が埋葬されていた。
この石碑は石室石材ではなかろうか。
ここで少し・・・浮羽の由来を・・「日本書紀」景行天皇 熊襲討伐を目的とし、筑紫を巡行した。・・・
南九州から不知火海、八代から八女へと移動し、的邑(いくはのむら)に着いた。この時天皇が食事を摂るのだが、食膳掛が盞(うき 酒杯)を忘れた。そこでこの地を浮羽と言った。筑紫の人々は盞を浮羽と言った。とある。
善院古墳群第1号から計画の半ばで中止して旅館に戻ることにした。先ずは国道210号に出なければ・・これがまたきつくてたまらない。走りながらも大きな日陰を探すのだが、周囲は水田、畑地で、平坦なものだから影が無い。
体力が消耗していくのが自分でもよく判るし、思考が・・・やっとのことで国道に出たのは良いが完全に思考が停止してしまった。自転車によっかかって少しでも回復を試みるのである。ところが、横断歩道前だったので車が止まってくれるんだ。これじゃあ迷惑をかける。少しでも前に進まねばならん。走っても汗が出ないんだ(この時は全くもって気がつかなかった)。休憩を挟んで少しでも前に行かねばと・・ところがだ、国道沿いは日陰が無い。それでも走る。
おっと、屋根付きのバス停が目に入って来た。しかもベンチがあるじゃないか。我輩にとってはオアシスだったな。
日陰の下のベンチに横になり・・・少し気を失ったかもしれん。まだまだ先が遠い。ほんの少しだけだが気が楽になったのでまた走り始めた。そうこうしていると突然左足がつってペダルを踏み外してしまいもんどりうって歩道側に転倒してしまった。すると・・対向車線を走っていた大きなSUVが停まり、運転者が降りてきて道路の向こう側から声を掛けている。「大丈夫ですか。救急車呼びましょうか」「有難うございます。大丈夫です」
周囲の目など全く気にもならない程頭がかく乱しているようだ。もう兎に角旅館のある方向に進むことしか頭にない。あの古墳がある所まで走ればと思いながらまた走り始めた。ところが、全くもってあとどのくらいなのか位置的な情報が頭から消えているのである。兎に角走れと自分に言い聞かせながら、左足よもう少しもってくれよと。
最悪を迎えてしまった。巨瀬川にかかる樋ノ口橋の真ん中あたりで又転倒してしまったのである。一瞬のことだった。目の前が真っ暗になった。気がついてみると歩道の上で仰向けになっている。大の字になっているのだろうな。「おー、空が青いな。」・・うわー、背中が熱い。それは当たり前か。表面が焼けているからな。気温は36度以上で、地表アスファルトの表面温度は50度を超すとも言われているから熱いはずだ。何処も怪我をしていないな。擦り剝いてもない。昔取った杵柄で受け身をしたのだろうな。柔道やっててよかったなと訳の判らんことが頭をよぎるのである。起き上がろうとして少し頭を持ち上げていると、こちらに向かって歩道に乗り上げて来る軽トラが目に入って来た。あーいかん。ここを退かないと邪魔になるなと・・本当にそう思ったもんな。すると・・運転者が降りてきて「大丈夫ですか」我輩はもうだめだと思ったから「いや、だめですね。ちょっと休んで行きますから」「何処まで行くんですか」「原鶴温泉の旅館です」「旅館の名前は何て言うんですか」「佐藤荘です」「じゃあそこまで乗せてあげますよ」と言ったが早い、自転車を荷台に積んで車に乗り込み助手席のドアを開けてくれた「はは、天国と地獄ですよ。涼しいでしょ」「有難うございます」
車内では何か話したのだろうが全く記憶が無い。何か変な返答したらしく何度か聞き返されたのを憶えているくらいである。何処をどう走ったのか、まあ想像はつくのだがあっという間に旅館に着いた。御礼は言ったのだが、名前を聞くのも忘れていた。振り返って見るともうその方はいなくなっていた。本当に有り難かった。こんな人がいるんだなと。
後で思い出したのだが何々古墳と言ったのだが知らないと言う。旅館の名前は知っているのに脇を通った古墳の名前を知らなかったからな。
軽度の熱中症だったのだろう。ハンガーノックにもなったろう。朝飯も昼飯も食ってないからな。4年前壱岐を走った時は朝飯、昼飯を食わずに走ったのだが・・4月だから熱中症にはならなかったろう。
もち米がなくなったのでパン粉に替えた。すると・・・・
近寄らなくなったぞ。斥候も来ない。何を贅沢言ってるんだ。こればっかりは如何ともし難いな。
まあそのうち来るだろう。