北九州市戸畑区で唯一の古墳群である 群と言っても 2基しか残されていない
これがそうである 2基とも横穴式石室を持っている 目の前は洞海湾である
北九州市戸畑区で唯一の古墳群である 群と言っても 2基しか残されていない
これがそうである 2基とも横穴式石室を持っている 目の前は洞海湾である
野良猫 40
この頃はガラス戸の向こうを窺うようになってしまった。影があれば忍び足で近寄って見るのだがすぐにばれてしまう。その影はすぐさま居住まいを正して部屋の方向を見るのである。我輩の気配を察知しているのである。もう我々は阿吽の呼吸である。それは黒猫のタンゴだけなんだけどね。「ギャー」はとんと姿を見せくなった。縄張りを盗られてしまったからでもあるが食べ物をくれるお宅が出来たからここに来なくてもよくなったのである。
当該ブログの記事は令和5年3月15日から30日までである。
香春王陵(勾金陵墓参考地) (福岡県)
宮内庁管理の下、立札には勾金陵墓参考地と書かれているが、埋葬者の名前までは書かれていない。
天武天皇の御代(679年)九州に派遣されているのが「河内王」と言う名前になっていて、その王に恋心を抱いていた「手持の女王」が若くして亡くなった王に対する歌をよせ、その歌が萬葉集に載せられている。
ここ香春の地であることから香春王とされているようだが・・・だからこの地は陵墓参考地とされてある。
説明文中に「手持女王」という名前が見えるので記したいことがある。
万葉集 巻の第三
417 王の親魄合へや豊国の鏡の山を宮と定むる
418 豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさず
419 石戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
河内王が亡くなって慕った詩である。
この詩に出て来る 鏡の山
鏡 と名付けられたのは 恐らく神功皇后由来であろう 鏡ヶ池位置
当該ブログの記事は令和5年3月26日から29日までである。
知り合いに呼ばれた その帰り道 あるお宅の庭に目がいった
このお宅には松竹梅が揃っている しかも手入れがよく行き届いている 感心する
同じお宅の庭の少し離れたところで咲く 立派な椿である その後ろには藪椿が・・・上手く写真が撮れない 不審者に思われる 早々に退散だ
おっ 最近は単独行動なんだな
げっ 余裕ありすぎじゃない 隙だらけだぞ はー 少し待っとけよ 今から給仕係だからな・・・ははは
ほれ 食える時に食っておかねばな しっかり食えよ
閑かに眠っておられるだろう 天武天皇皇子
王を慕った 手持女王 はその後どうされたのだろう・・・
「岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく」
ガラス戸を・・・えっ もうばれているのか・・
なんばしよっとかいな
おやまあ いくらお前の縄張りと言っても最近だれてないか おいおい 黒いティッシュボックスに変身している
陵墓の正面に来た
近くによって・・・宮内庁管理の立札 当該地域は古墳が点在するような場所ではないので陵墓そのものではなかろうか
また眼前を走る国道201号はその昔の官道に沿っている様である
すると画面右方向が京都平野 その向こうは東 周防灘に出る
海路瀬戸内海を東に進めば大和である その様な場所を選んで埋葬されたのではないだろうか・・・うーむ