街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

ヒメコ塚古墳 (福岡県)

2024-10-18 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

ヒメコ塚古墳 (福岡県)

 

 

6世紀後半に築造された大型の円墳である。横穴式石室を持ち巨石を用いて玄室が造られている。玄室床には「山」の字を逆さまにした形の排水溝が掘られている。奥壁は鏡石で高さは2mを越える。両側壁は巨石腰石を用いて少しハングしている。天井石も奥壁に引けを取らず1枚岩の巨石である。この古墳は前方後円墳と思われていた。その記録もあるが・・・うーむ。東九州自動車道が真上を通るので削平される運命になった。呰見大塚古墳 は地域初めての装飾古墳だったため保存されている。異なる運命をたどった古墳である。

 

ヒメコ塚古墳位置(消滅しているので マーカー が無い)

 

 

当該ブログの記事は令和6年9月30日から10月17日までである。

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呰見大塚古墳 (福岡県)

2024-09-29 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

呰見大塚古墳 (福岡県)

 

 

6世紀後半に築造された大型の円墳である。周辺地域に所在する 彦徳甲塚古墳 が地域最大級の円墳でそれに次ぐ大きさである。問題はそんなに単純ではなく装飾古墳であることだ。福岡県北部と大分県北部の中間で発見されたことに大きな意義がある。小倉北区に所在する 日明一本松古墳 の装飾 に似ていることと筑後、熊本県北の装飾古墳との共通の文様を見るという。所謂ミッシングリングが繋がったのか・・・うーむ。古墳の頭上を高速道路が走るが埋め戻されて保存される。しかし見学は出来ない。削平される古墳もあればこの様に保存される古墳もある。

 

呰見大塚古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年9月14日から28日までである。

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寺山古墳 (福岡県)

2024-09-13 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

寺山古墳 (福岡県)

 

 

6世紀後半に築造された前方後円墳である。この地域最大級で 全長 68m を測り周濠がめぐる。

残念ながら看板に書かれてある場所に行っても確認は出来ない。遠賀川流域古墳公開時に寄るのだが毎度毎度寄っている訳ではない。一度行って足を踏み入れて確認すれば足りることである。ただ、石室石材を用いて祠を造っている。周辺には装飾古墳が見受けられることからして・・・もしかすると装飾古墳であったのではないかな・・・うーむ。

 

 

寺山古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年9月9日から12日までである。

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南原古墳群 2号墳 (福岡県)

2024-09-08 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

南原古墳群 2号墳 

 

 

南原古墳群は2基( 大塚公園 1号墳 )で構成されていて、その2号墳である。小形の円墳だが横穴式石室を持つ。墳頂を見ると石が載っている。石室天井石の一部である。隙間があるので覗いてみると石室は胴張で天井石が落ちている。残念ながら修復はされてはいないようだが、1号墳である大塚とは違って保存はされている。この地域は奥津城だったが今では2基しか残っていない。

 

南原古墳群 2号墳位置

 

マップを見ると塚廻古墳と書いてはあるが 苅田町歴史資料館では南原と言う地名を当てていることを記しておく。

我輩がアップした記事や写真が消去されていることには忸怩たるものがある。

 

当該ブログの記事は令和6年8月30日から9月7日までである。

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南原古墳群 1号墳

2024-08-29 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

南原古墳群 1号墳

 

 

南原古墳群(2基で構成されている)の一つだが封土が流出、主体部は見ることが出来ない。カチカチに固まっていて、それがまた風雨に晒されるものだから表土が流出するだろうな。恐らくはこれがあるから公園化したのではあろうが・・・せめて、説明看板くらいは立てて大事にするくらいの意識を持たせるようにしてもらいたいと思う。

 

南原古墳群 1号墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年8月23日から28日までである。

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水町遺跡 (福岡県)

2024-08-22 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

水町遺跡 (福岡県)

 

 

遠賀川流域古墳公開時にはボランティアの方々が迎えてくれる。六世紀半ばから七世紀前半くらいが全盛期であったろう。目の前を南から北へ滔々と流れる遠賀川を上手く利用しただろうな。
横穴墓群を見るのは福岡県北では珍しいかもしれないが、近くには古月、垣生公園内などで見ることが出来る。小さな円墳が4基あるのだがな。少し手を入れて頂ければと思うのは我輩だけではあるまい。

 

水町遺跡位置

 

当該ブログの記事は令和6年8月14日から21日までである。

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福岡県大任町周辺 (福岡県)

2024-08-13 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

福岡県大任町周辺 (福岡県)

 

 

残念なことに大任地区にある古墳についてはあまり、いや殆ど知られていないと言うのが現状で案内も説明もないのである。御多分に漏れず神社創建のためか古墳が削られているのが見て取れるだろう。小形の前方後円墳であったようでこうして横穴式石室を持っている。彦山川があばれ川だったことからこの周囲にある古墳や横穴墓は皆丘陵上にある。
またその彦山川を利用して遠賀川に出、響灘に出ていただろう。

 

丸山古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年8月1日から12日までである。

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伊方古墳 (福岡県)

2024-07-31 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

伊方古墳 (福岡県)

 

 

遠賀川流域古墳公開時(年に二度4月 10月)に見学できる。この地区にはこの一基のみだが大型の円墳(径 34m)であり、石室など見事なものだ。6世紀後半から7世紀初頭に築造されただろう。緩斜面が拡がるこの地域で弥生時代から栄えたようなのだが、その系列の有力者か。惜しむらくは他に古墳を見ないのが残念である。

 

伊方古墳位置

 

当該ブログの記事は令和6年7月30日までである。

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福丸古墳群 (福岡県)

2024-07-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

福丸古墳群 (福岡県)

 

 

 福丸一号古墳 の後背地の山中に広大に広がる。群集墳が綺麗に残されている。素晴らしい古墳群である。50基ほどの円墳が集中する奥津城である。全てが大きな石室を持つ。中には目を見張るものもあることに驚きを隠せない。最大級のものは福丸一号墳(これも場所を確定させ、写真もアップしているので参照してもらいたい。)恐らくは六世紀初頭に始まり七世紀初めくらいまでに営まれたのではないか。ここは面白いぞ。次から次へと石室を持った古墳が現れるのだから。ここをみたらもう円墳は見ないでもいいかな。夢にうなされるかも。ははは。そんな訳ないか。

 

福丸古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和6年6月29日から7月19日までである。

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大分宮(だいぶ宮) (福岡県)

2024-06-20 00:10:00 | 福岡 古墳フォトチャンネル

大分宮(だいぶ宮) (福岡県)

 

 

神功皇后三韓征伐より帰還され、12月14日応神天皇を筑紫で産まれた。時の人はその産処を名づけて 宇美(宇美八幡) と言った。新羅を討った翌年2月 穴門豊浦宮 に移られ海路より京に向かわれた。と日本書紀に記されている。宇美から穴門豊浦宮までの経路は書かれていない。
筑紫風土記には経路が書かれており周辺地域の地名の由来もそうなのだろう。さて、前方後円墳であるが全長40m程で、主体部が判然としない。早い段階であれば4世紀終りから5世紀初めには築造されたと想像するが・・・その域を出ないな。

 

大分宮(だいぶ宮)位置

 

当該ブログの記事は令和6年6月10日から19日までである。

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