街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

益田へ

2007-03-31 08:15:49 | 街道関連
 30余年前の跨線橋から益田駅を写す。
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益田へ

2007-03-31 08:14:18 | 街道関連
 30余年前に陸橋からD51が貨物を牽いて下関方面に下っていく写真を撮った。今その同じ場所で写真を撮った。感慨深いものがある。あのころとは当然にうって変わった風景ではあるが、山陰本線と山口線の二条は変わりが無い。ご覧のように構内にマンションが逼って建っている。構内を切り売りでもしたのであろう。 引込み線やヤードなど何処にも無い。本線、入換用、駐機線のみとなった。
 跨線橋は両脇に歩道が設置され、金網が張られている。写真が撮りにくい。蒸気機関車は既に走らず、特急を含めディーゼル列車が小気味好いエンジン音を唸らせて走り抜けていく。左から山陰本線、右からは山口線、益田駅は分水嶺である。
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益田へ

2007-03-31 07:58:08 | 街道関連
 寺の正面
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益田へ

2007-03-30 10:24:24 | 街道関連
 本町を歩いてみた。七尾城へと続く道なりである。正面の山を仰ぐとそこに七尾城址がある。その途上にお寺がある。すっきりとした佇まいで、背筋がピンと伸びるような感じである。
 しかし、この界隈には町屋も街道らしきものは見られない。残念なことである。
道なりに歩いていくと益田川にあたる。護岸工事の無い自然な流れを見せている。唯あまりに寒い。寒の戻りのおかげで川に沿って冷たい風が身を切り刻むのである。大げさだとお思いになるかもしれないが、私には当にそうなのである。歩いても体が温もらない。振り返ってみると本町辺りにはその昔を思わせるような甍の波が続く。気持ちのいいところである。唯寒いのが玉に瑕だ。
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益田へ

2007-03-29 15:13:14 | 街道関連
 その石州瓦を貼り付けた建物(グラントワ)少し歩き左に曲がると本町通りになる。ところがこの道筋に一歩入ったとたんに様相が一変するのである。なんと昭和30年代だ。森閑とした通りである。午後4時頃なのだが人っ子一人通らない。右手に見える山には七尾城跡があり、その中腹には住吉神社が見える。この辺り一帯はその七尾城の城下町であった。そしてここが中世の本益田である。江戸期は発達しなかった街であるらしく顕著な道筋は見ることが出来ない。
 おっとバス停がある。別にバス停が珍しいわけではないのだ。そこに切符販売所がある。これが珍しい。ほんとに昭和30年代だ。では見ていただこう。駄菓子屋か煙草屋か、その両方か、小さな窓ガラスのところに紙に切符販売と書いて貼り付けているだけである。客が来るのか来ないのかよくわからないが小母さんがじっと座っている。この光景を目の当たりにしただけでもここに来て良かったなと思ったくらいなのだから。
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益田へ

2007-03-27 08:15:19 | 街道関連
 駅前を鉄路と並走するメインストリートが何も特徴を持たない道路に変えられていく中で、一筋道を変えると思ったとおり、あの昔の記憶がよみがえる。路地ではないのだが両脇に建物がびっしりと詰まり、昔ながらの生活が続いていることが明らかになる。
 また、もう一筋道を変えると益田市役所がある。ここはまだ昭和40年代前半である。生活道路に面していて、いきなり市役所なのだ。ロータリーがあるわけでなし、植樹されているわけでなし、スロープもあるわけでなし、道からいきなり市役所である。正面には駐車場すらない。いや、車を止める者など一人もいない。
 中に入ってみた。自然と笑顔になる。役場そのものと言った感じで、まさに昭和30年代に逆戻りの感がある。観光の目玉ではないか。おかしな話ではあるが心が和むようだ。
 観光の目玉と言えばグラントワという立派な建物がある。石州瓦を上から横まで貼り付け、当に目を惹く建物であるがただそれだけである。市役所のほうが気分がいい。
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益田へ

2007-03-26 14:12:50 | 街道関連
 ようやく益田に着いた。寒の戻りのおかげで寒い。日差しはあるものの風が強いため体感温度がより低いように思えてならない。当然のことではあるが駅前はきれいに整備され、地方色など何処にもない。残念では有るが如何ともしがたい。
 駅前に立ち周りを見渡してみると、ブレザーを着て、見ると高校生であろう、バス停のベンチで小さくなっている。寒風の中でバスを待っている。横を通り抜けるときに大きなくしゃみをした。そこで声を掛けた。「寒いのう」「はい、寒いっす」寒いにも拘らず笑顔で答えた。これだけで温かみを感じたのである。
 駅前を一歩出ると左右に一筋の道が走る。右側は昔のままである。左側はと言うと道は拡張され歩道を敷設し何処にでも見られる街並みへと変身させられている。道に沿った既存の建物は立ち退きとなり新しい建物へと変わりつつある。駅より右側もそうなるのであろう。何の変哲もない無味乾燥なものへとなってしまうのだなと感じつつそこを歩いてしまった。
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益田へ

2007-03-25 10:15:15 | 街道関連
 汽車は日本海に沿って更に北上する。海岸線に沿い或いは小さな入り江を縫うようにして走る。見事な海岸線である。がしかし、冬の日本海海岸は朝鮮半島から流れ着いたごみで一杯である。どうにもならないのだろうが、そこに目を移さなければこんなに美しい海岸線はないといっていいほどである。見ていても飽きることはない。海また海の山陰線は内陸へと進入して愈々益田へと入る。
 その手前、日本海の厳しい波が打ち寄せる持石海岸に沿う。低気圧のため白い大きな波頭が幾度となく打ち寄せ、その度に白い飛沫が大きく空中を舞う。冬の終わりではあるが本格的な冬の日本海を見せてくれた。その魅力に惹かれながら汽車は益田駅に進入する。
 汽車はここが終着駅である。
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益田へ

2007-03-21 12:39:01 | 街道関連
 小串から長門市へ小一時間である。下関から上ってくる列車待ち合わせで少々出発時間が遅れている。上ってきた列車はほぼ満員で、乗換の乗客で長門市行きの車両は満員になった。我々の隣に座ったのは偶然にも北九州戸畑から長門市までの年配のご夫婦で、ご主人が俳句で表彰されるとのことであった。このご主人は俳句では全国的に有名であるらしく紅白歌合戦の審査員席にも座った方であった。
 見れば普通の好い小父さんだ。失礼になるが、気持ちと感動を十七文字に凝縮させて表現するような方には見えないのである。表彰される俳句は「金子みすず」を詠っていたのが私は憶えていない。
 奥様はと言うと、只つき合わされているらしく、その会場には行きたくないらしい。はた迷惑そうであったが、ご主人の体が心配で付き添っているのだそうな。
 この一時間は車窓から風景を眺めることはなく、ディーゼルの小気味好いエンジン音、海岸線を快走する車内で、会話を楽しみつつ、あっというまに長門市に到着した。ここで二人と別れ、益田行きの列車に乗り込む。(写真:飯浦駅 自転車旅行で寝た駅である)
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益田へ (小串の街並み)

2007-03-20 01:17:28 | 街道関連
 それと思わせるような街並みである。一条の道が下関へと延びている。潮風が舞い、清々しさを感じる。
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