大原箱式石棺群(熊本県)
公民館の隅に移設されたものである。弥生時代から古墳時代への移行期であると言われている。説明看板が立てられているのでそれを読んで頂ければ有難い。駐車場は潤沢に使えるので・・ただね、マナーは守ってもらいたいものだ。我輩は列車を利用して歩いての探訪であったが。
当該ブログの記事は令和1年(2019)10月13日から16日までである。
日田月隈遺跡(横穴墓群)(大分県)
御覧の様に横穴墓(古墳時代)が集中している。筑後川が氾濫したりするので奥津城を平地に造るのではなく丘陵地などに造ったのであろう。日田地方でも古墳は散見されるのだが・・・
当該ブログの記事は平成23年(2010)1月30日から2月3日までである。
姫方遺跡(佐賀県三養基郡みやき町)
雌塚が主体の様になっている遺跡の様だが弥生時代の土壙墓から支石墓などが検出されている。ここでは少し判りにくいのだが3基の石槨(石棺)が残されている。弥生時代から古墳時代までの遺跡がある訳で、この地に数百年もの間生活の営みがあったということである。
当該ブログの記事は平成30年(2018)3月17、18日である。
延永ヤヨミ園遺跡(現地説明会)
東九州自動車道建設に先駆けて発掘された遺跡である。時期はと言うと弥生時代終末から古墳時代の初めと古墳時代後期の二期に分かれている。一番栄えた様子が検出できたのは古墳時代後期で120軒ほどの竪穴住居跡が検出されている。また、弥生時代の遺構として環濠が検出されている。総合的に判断すると大きな村が形成されていて古墳時代になって人口が増えたということである。ただ、周囲に奥津城を見ないのである。思うに魏志倭人伝に記されている一国かもしれないな。今では高速が走っておりその面影すら見ることが出来ない。
当該ブログの記事は平成21年(2009)11月8日から22日までである。
金山遺跡(福岡県)
説明が無ければ遺跡だとは判らない。当たり前か。花農丘公園(北九州市立総合農事センター)南のなだらかな丘陵地を含み、猫の額ほどの畑地を見る。田んぼの大きさ形は違えども金山遺跡の前にはこの様な光景が拡がっていたのだろう。今も昔も変わらぬ営みが続くその風景である。弥生時代の終わりから古墳時代初期の遺跡である。また、江戸時代の遺構も含まれた複合遺跡である。鳥居が見えるあれは高倉八幡神社である。
当該ブログの記事は平成23年(2011)6月19日から25日までである。
横隈山遺跡公園(福岡県)
まず説明看板を読まないとここが遺跡公園だとは誰も気がつかないだろう。せめて検出された時の状況をレプリカでもいいから残してくれたならば・・・埋め戻してしまえば何が何だか判らないことになる。賢明なる読者諸氏は説明看板を読んで納得して頂ければ有難い。
当該ブログの記事は平成29年(2017)9月23日から25日までである。