墓の真後ろの写真で、南北に周溝を見ることが出来る。幅は約1.5m深さ約0.6m位である。西側が削られてしまっているため方形周溝全体を知ることは不可能である。どこまで西に延びるのか判らないし、他の墓があったかどうかも判らないのである。残念至極である。
二基の小さな石棺にこれだけ広い墓域を設けてあるのだと解釈すると、やはり土地を潤沢に使えるほどの力(権力とでも言うのか)を持った者であることは誰でもが頷くことであろう。
また、魔除用赤色顔料(辰砂)が鮮やかである。1800年前は太陽の光を反射させていたであろう。目貼用白色粘土も同様に魔除と考えられ、神聖さと穢れのなさを示しているとのことだ。
左の石棺の上部に何かが見える。(別添にする)
私は背が高いので人の上から写真を撮ることが出来たのであるが、この様なことが出来る私は親に感謝したものである。
説明会当日である。そそくさと九州最大級の墓に向った。前日は塀の外から見て回ったがここだけ外から見ることが出来なかったのである。何故か。写真上部を見ていただければ判るのだが、ここだけ琉球朝顔が金網に繁茂して中を見ることが出来なかったのである。それだから琉球朝顔は嫌いなのだ。
目の前に置かれているのは石棺の石蓋である。この朱色は辰砂(水銀と硫黄の化合物)である。魔除用に塗られているとのことだ。
現代でも魔除に朱色を用いているのを漁村で見ることが出来る。
縦約1メートル、幅約0,3メートル、二基の石棺が添うようにして作られているのがわかる。この石棺の大きさから埋葬されたのは身長0,9メートル程の子供だと言われている。
一枚の側板を水に濡らしてその朱色がはっきりと判るようにしてある。
この一区画が方形周溝墓である。この方形が九州で最大級(南北約19,5m、東西約13m)となる。
もう皆さんもご存知であろうがあの科学技術の「仕分け」である。
日本が先進国になりえた要因は科学技術の発達と日本人の献身的な仕事振りである。その科学技術に対する進化を「ここでやめろ」と言っているのと同じである。
その昔、遣唐使、遣隋使を先進国である中国に派遣し、日本独自の伝統文化を築き上げてきた。それは日本が取りも直さず発展途上国であったからである。
それから鎖国体制をとるようになったが、幕末では各諸藩がこぞって技術の導入にしのぎを削ってきたのである。また、明治政府でもそうだった。富国強兵を大前提としてそうしてきたのである。世界に追い着け追い越せの気持ちであったろう。
そのせいか強くなりすぎて当時の最先端の爆弾であっけなく日本は瓦解してしまった。ところがだ、それから数十年後には日本は世界から一目おかれるほどの国へと発展したのである。これは先に記したようなことが要因である。
こうして大きな木を育て、沢山の枝葉を繁らせてきたのだ。だが今回それをたった一時間と言う大鉈で切り倒してしまったのである。
CO2 25%削減は科学技術発展なしには望めないし、新規雇用も将来にわたって望むべくもない。この様なことでは後退国になってしまい頭脳流出が目に見えてしまう。科学技術立国の看板を下ろしてしまわなければいけない。それを政府がしようとするのだからどうしようもなく情けない。
1950年代だったか。自動車は日本で作る必要はなく何処かの国から買えばいいのだと言った日本人がいたが、当時のソビエト連邦のシステムではないか。
あの北朝鮮でも人民に飯を食わさなくても科学技術の向上には目の色を変えているのだ。
昨日スポーツニュースを見た。女の子にインタビューをしている。「どうでしたか」という質問にその女の子は「とりあえず緊張しました」 これを聞いて愕然とした。今時の馬鹿者、いや若者は言葉を知らないのか。最近やっと「全然・・・」に慣れてきたのに(いや、今でも違和感はあるのだが)言葉の遣い方に唖然とさせられてしまう。私だけであろうか。
日本が先進国になりえた要因は科学技術の発達と日本人の献身的な仕事振りである。その科学技術に対する進化を「ここでやめろ」と言っているのと同じである。
その昔、遣唐使、遣隋使を先進国である中国に派遣し、日本独自の伝統文化を築き上げてきた。それは日本が取りも直さず発展途上国であったからである。
それから鎖国体制をとるようになったが、幕末では各諸藩がこぞって技術の導入にしのぎを削ってきたのである。また、明治政府でもそうだった。富国強兵を大前提としてそうしてきたのである。世界に追い着け追い越せの気持ちであったろう。
そのせいか強くなりすぎて当時の最先端の爆弾であっけなく日本は瓦解してしまった。ところがだ、それから数十年後には日本は世界から一目おかれるほどの国へと発展したのである。これは先に記したようなことが要因である。
こうして大きな木を育て、沢山の枝葉を繁らせてきたのだ。だが今回それをたった一時間と言う大鉈で切り倒してしまったのである。
CO2 25%削減は科学技術発展なしには望めないし、新規雇用も将来にわたって望むべくもない。この様なことでは後退国になってしまい頭脳流出が目に見えてしまう。科学技術立国の看板を下ろしてしまわなければいけない。それを政府がしようとするのだからどうしようもなく情けない。
1950年代だったか。自動車は日本で作る必要はなく何処かの国から買えばいいのだと言った日本人がいたが、当時のソビエト連邦のシステムではないか。
あの北朝鮮でも人民に飯を食わさなくても科学技術の向上には目の色を変えているのだ。
昨日スポーツニュースを見た。女の子にインタビューをしている。「どうでしたか」という質問にその女の子は「とりあえず緊張しました」 これを聞いて愕然とした。今時の馬鹿者、いや若者は言葉を知らないのか。最近やっと「全然・・・」に慣れてきたのに(いや、今でも違和感はあるのだが)言葉の遣い方に唖然とさせられてしまう。私だけであろうか。
段切りされた下、西の隅である。何が検出されているのは判らないが殆どが住居の跡であろう。
ブルーシートがかけられている場所に刑務所の本屋があった。当時遺跡など発掘することなしに(少しは発掘されたらしいが)このような状況だ。もしかすると凄い遺跡になるやもしれぬものを破壊してしまったのである。
弥生時代末期と言えば200年~250年、邪馬台国時代である。当然に邪馬台国ではないが関連したものが出てくることに期待が持てたかもしれん。
しかし、今出てきてくれたから我々が目の当たりにすることが出来たのであって50年も前であれば邪馬台国など知る由もなかったのである。それを考えると有り難い事だったと言っていいのかもしれない。