塚園古墳群1号墳(熊本県)
全長40m程の前方後円墳で、後円部の径14m(現状)削平されているので径はもう少し大きくなるのだろう。発掘調査などは行われていないらしい。また所在地は私有地の様で足を踏み入れるには断りを言ってからであろう。周囲には4基ほどの円墳があったが2基は道路敷設の為に削平された。残りの2基は私有地にあるがこの土地所有者が私費で保存されている。この地域は縄文時代から人が住んでいて、それを平松遺跡と言う。その様な地域に所在する。当該地域の奥津城だったようだ。築造時期などは未調査の為解明されてはいない。直ぐ近くには鬼のいわや古墳が所在する。
当該ブログの記事は令和3年(2021)11月18日から24日までである。
石室石材落書き 鬼のいわや古墳(熊本県)
質の悪い者が訪れている。開口しているのは如何ともし難いがそこで悪戯は許されない行為である。写真を撮って石室の規模、構造などを確認してみると・・・うーむ・・こんなことをされた石室を見るのは初めてだ。それで白丸で囲っているので何をされているのかをご覧いただければと思う。この様なことをする輩を排除することは到底無理ではあろうが・・・うーむ。
当該ブログの記事は令和3年(2021)11月13日から16日までである。
鬼のいわや古墳(熊本県)
説明にもあるように径20m程を測る大型の円墳と言っていい。開口しており中に入ることが出来る。それが原因で質の悪い者が訪れている。開口しているのは如何ともし難いがそこで悪戯は許されない行為である。写真を撮って石室の規模、構造などを確認してみると・・・うーむ・・こんなことをされた石室を見るのは初めてだ。それで白丸で囲っているので何をされているのかをご覧いただければと思う。この様なことをする輩を排除することは到底無理ではあろうが・・・うーむ。
素晴らしい石室を持つのだが・・側壁、奥壁など巨石を用い、天井はと言うと持ち送りでドーム状の構造をしており、その上から巨石で抑えてある。素晴らしい円墳である。
当該ブログの記事は令和3年(2021)10月27日から11月11日までである。
桂原古墳(熊本県)
不知火海を眺望することが出来る場所に築造されている円墳である。説明看板が立てられていて、それは親切な説明である。6世紀末~7世紀前半(初頭)に築造されているということで、古墳時代終末期に当たる。 径13m 高さ4m 横穴式石室を持ち、刳貫玄門である。これは八代、宇城、宇土に所在する古墳でも見ることが出来た。しかも装飾古墳で船の線刻が施されている。当該古墳を含めてあちこちでも船の線刻を見ることが出来るのはこの地ならではなかろうか。ここでは満帆でかける大船と、大きな艪数本と舵を持つ・・戦闘用の舟か・・相当な技術を持っていたのではなかろうか。その様な集団の首長の墓であろう。 石室内部に入ることは出来ないのは如何ともし難い。御覧の様に古墳裾周囲をブロックを積み重ねて擁壁をついて崩壊を防いでいる。開口部を南面に向けているのは海を眺めることが出来るようにということであろう。
当該ブログの記事は令和3年(2021)10月15日から25日までである。
国越古墳(熊本県)
6世紀前半に築造された前方後円墳である。説明ではあまりにも簡単なので少し書き加えておく。横穴式石室をもち直弧文を施した平入家形石棺が置かれている。また、銅鏡が副葬されており、一つは浮彫式獣帯鏡 径17.5cm 藤ノ木古墳からも発見されているものである。福岡県内、宮崎県内からも発見されている。似かよったもので熊本県江田船山古墳でも発見されている。また一つは画文帯環状乳神獣鏡 径14.8cm これは江田船山古墳にもあった。大和政権が絶大な力をもって連合国家を築いてきたことの証とも言えるのではないだろうか。日本(とはまだ言わないが)を形成した一国の首長墓であるということだ。
当該ブログの記事は令和3年(2021)9月30日から10月13日までである。
塚原平古墳(熊本県)
6世紀後半から7世紀前半に築造された円墳である。周溝を持っていたことも判っている。説明からも判るように20体以上もの遺体を納めていたとあるが、横穴式石室を持つからこそで(閉塞石を開けば何度でも可能)埋葬が可能になるのだが、問題は家系が繋がっているのか赤の他人までも埋葬したのかということである。年の神古墳群1号も20体以上が埋葬されていたということが知れているが・・・うーむ、あんな狭い石室に・・当該古墳石室もそんなに広くは無い。同系の家族だったのか親族も含めたのか・・・うーむ、そこが知りたかったな。さて、少し敷地に余裕があるものだから近くのものが自分の駐車場の様に使用しているのが許せないと思うのだがな。これでは見学する事すら出来ないのではないか。考えてもらいたいな。
当該ブログの記事は令和3年(2021)9月22日から28日までである。
北園鬼塚古墳(熊本県)
径約40m程の円墳と言われ、6世紀末ころに築造されたものである。ただ周囲が圃場整備の為に相当掘り下げられているようで石室の開口部がレベルに合わないようだ。石室があった場所に大きな板石のような石材が見られることから、八代で見られる鬼の岩屋式の石室を持ったと思われる。 周囲は目を遮るものも無く孤島のように目を惹いている。頭の上直ぐ近くを九州新幹線が轟音を立てて走り去る。古墳の直ぐ脇にはゲートボール場が設けられていて地域住民憩いの場所となっているようだ。残念ながら駐車場などは無いのでご迷惑にならないように見学を・・・
当該ブログの記事は令和3年(2021)9月12日から20日までである。
仮又古墳(熊本県)
案内は無い。標識が立てられてはいるが・・道が判らない。兎に角上に上がっていくしかない。鉄塔を目指すことだ。孟宗竹が行く手を遮るので、訪れるのであれば冬場のほうがよい。だからそれ以外の季節の見学はお勧めしない。 辿り着いても御覧の通りで、石材だけがそれらしく残されている。説明によれば舟を描いた線刻が見られると言うのだが・・・うーむ、この状況ではまず無理だ。7世紀初頭に築造されたとあり、一見方墳の様な説明ではあるがいびつではあるが円墳である。登って行く途中に2号墳を見るが、運が良ければと言ったところだ。下って行くにしても何処をどうやって来たか判らないので兎に角下れば標識の近くに出ることは出来るだろう。幸運を祈る。そうやって下りて来た時偶然地元の方に見られて「何をやっているんだ」と変な目で見られたからな。まあ変人ではあるけれど・・
当該ブログの記事は令和3年(2021)8月31日から9月10日までである。