街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

帝踏石

2008-12-17 15:12:58 | 史跡



 帝踏石に寄った。この種の史跡は日本各地に残っている。実在したかどうかというような野暮な詮索は抜きにして、その時代に何らかの動向があったということなのであろう。他にもお腰掛の石、舟を繋いだ石などと、神話的なものから史実に基づいたものなど面白い話はある。

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薦神社内宮

2008-12-16 09:08:15 | 中津街道


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続またまた汐湯

2008-12-16 07:40:19 | 中津街道

 もう見慣れた光景である。薦神社だ。又かとお思いになられる方もおられるであろうが、前回は拝殿に向かって左から本殿を撮影した。今回は神門のある右から撮影してみた。これと言って変り映えはしないのだが、薦神社の殆どを写したと言える。この次はどうしようかと迷わずにいられない。

 今回は我々二人きりである。神社関係者の姿も見えず貸切状態である。
前回七五三で少々遠慮がちに母の写真を撮ったが、今回は思い切り正面から写すことが出来た。母がバックを気にしたのか薦神社の紋を入れなくて良いのかと問うたのであるが、今回はもうよしとした。あの目玉親父のような紋は一度見れば忘れることはなかろうと思う。神社などは三つ巴が多いがここはやはり八幡の先祖であることで他には類を見ないであろう。
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続またまた汐湯

2008-12-15 09:46:43 | 中津街道


 汐湯から車で五分くらいで福沢諭吉旧居(母の実家 橋本家)に着く。下級武士の家ではあるが、清楚な佇まいが人の心に安堵感を与えてくれている。
 この佇まいの色合いがなんとも清々しく気持ちが好い。
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織る錦

2008-12-15 09:33:33 | 朝顔 花

 大地は自然のキャンパスである。色づいたもみじが降り積もって絵画の様である。自然の美しさを見ていただこうと思う。
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コメントにお答えして

2008-12-14 01:23:04 | Weblog
< 亡くしてわかる・・・ (丸めがね)

2008-12-13 19:24:02

「親孝行」・・・なんてすばらしいことでしょう。
私はすでに両親ともに他界してしまい、孝行することもできなくなりました。今になって心残りなことがたくさんあります。
孝行は「やりすぎる」ことはありませんね。
ぜひぜひお母様といろんなところへおでかけくださいませ。
更新を楽しみにしています。 >

 久しぶりのコメント有難うございます。応援して頂き感謝しています。「考は百行のもと」また、「墓に布団は着せられず」と言われますので、出来うる限りそのようにしたいと思っております。
 私も薀蓄を述べないといけないので勉強にもなります。と言っても世間で役に立つわけではありませんが、母との会話にはなりますからね。道中殆どあれやこれやと話してますよ。
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織る錦

2008-12-14 01:05:09 | 朝顔 花

 ~川の流れに散り浮くもみじ 波にゆられて織る錦~と小学校で歌った。
その雰囲気を味わうべく写真を撮った。
 薦神社内宮の堤の上の木々が彩を添えてくれているのである。さくさくと枯葉を踏む音が耳に心地好い。自然の創る情景は人間にはかなわぬ。
 想像するに冬もまた楽しからずやであろう。しかし、真冬には行きたくないよな。寒さが骨に染み入るからな。
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続またまた汐湯

2008-12-14 00:51:53 | 中津街道

 まだこれで引き伸ばすのかと思われている方もおられるだろうが、そこはご容赦である。少し趣を変えた写真を撮った。敢て道路標識を入れたのはアクセントのつもりである。カメラと言うのは要らないものを切り捨てて、見せたいものだけを切り取れるから良いのであろう。が、札幌の時計台のように妙に創造力を膨らませてしまうきらいがあるのも否めないのである。さて、

 珍しく本人登場である。と言っても以前脱衣場で登場し、肉体美をご披露しているが、食事時などに見るものではないこと請負である。

 母とは三度目の汐湯である。道すがら中津街道にまつわる歴史についての薀蓄を述べながら行くものだから閉口しているのかと思いきやそうでもなく、質問もし、しょうもない知識を頭の中に少しながら入れているようだ。
 老人会の集まりでたまさか歴史の話が出ると母が中心になって話しているそうだ。車での道中私から強制的に聞かされると皆に言っているそうで、羨ましがられているとのことであった。
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続またまた汐湯

2008-12-13 07:32:58 | 中津街道


 もう何も言うべきことは無い。何度となく見た風景である。
それでも自分は母との会話をしつつ汐湯へと向うのである。そして、道すがらここには必ず立ち寄るのである。海はひろいな大きいな。母親の愛情も海のひろさでもある。子供はいつまでたっても子供だから今を大事にしたい。
 人の常かもしれんが、父親を喪って初めて親の有難みを知るのだろうな。
母は時々弱音を漏らすようになった。まだまだ汐湯に連れて行くからな。
ブログでもご披露するのでその節はご勘弁願う次第である。いかん。私が弱気になってどうする。
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続またまた汐湯

2008-12-12 09:05:04 | 中津街道

 天満宮は閑かである。あと何日かもすれば大勢の人出で賑わうのだろう。毎年のことではあろうが受験シーズンともなれば目の色が変った親子連れで殺気立つやもしれん。牛が反芻するようにのんびりとはいくまい。

 そのようなこととは全くもって縁の無くなった二人が、本当に二人だけが境内をうろうろしている。
 大内氏によって建立され、大友氏によって破壊され、小笠原氏によって再建された云々という看板を読みながら、何で大内氏が、何で大友氏がなどと喋っていた。
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