塚原古墳群(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1基を含む円墳19基ほどで形成する古墳群である。
当該ブログの記事は令和2年(2020)10月31日から11月20日までである。
塚原古墳群(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1基を含む円墳19基ほどで形成する古墳群である。
当該ブログの記事は令和2年(2020)10月31日から11月20日までである。
牧ノ原古墳群(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1号、3号、6号を含み円墳10基が所在する。ただね、見ることが出来るものとそうでないものとがあるのでマナー、ルールを守って見学を。
当該ブログの記事は令和2年(2020)10月22日から29日までである。
塚原古墳群第1号墳(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。この塚原第1号墳(高崎町古墳第1号)は全長65.5mの前方後円墳で5世紀初頭に築造されている。御覧の様に道路の脇にあるのですぐ判る。その周囲にはこの古墳を盟主とするように墳丘が点在している。朝が早すぎたからこんな写真になってしまったことご容赦願う。
当該ブログの記事は令和2年(2020)10月14日から20日までである。
牧ノ原古墳群第1号(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1号、3号、6号を含み円墳10基が所在する。ただね、見ることが出来るものとそうでないものとがあるのでマナー、ルールを守って見学を。
当該ブログの記事は令和2年(2020)8月5日から10日までである。
南方古墳群38号(宮崎県)
直径16m、高さ2mの小さい円墳で、標高は24.7mであるが、墳丘の南側が宅地造成のため高さ2mの断崖となっており足元がおぼつかない。墳丘上には祠が祀られている。
個人の所有なので見学には必ず断りを。御年配の女性でいい方である。家の入り口の右側に所在するのですぐ判る。くれぐれも一言声を掛けて頂きたい。
当該古墳のブログ記事は令和1年(2019)5月16日から18日までである。
南方古墳群20号(宮崎県)
柄鏡式の前方後円墳 と記 されているが、形状 を全 く残 してなく円墳の様に見える。築造時期は古墳時代前期であるから5世紀前半である。しかし、よくもまあこのような山奥に造らせたもんだと感心している。この古墳の近くには18,19,21,22,23号があったのだが、今では削平されている。
当該古墳のブログ記事は令和1年(2019)5月6日から14日までである。
南方古墳群14号、15号(宮崎県)
私有地にあるので当然登ることは出来ない。がしかし、家人の手がきちんと入って整然としている。御覧の様に大型の円墳で、直径約22m、高さ約4mである。古墳時代前期に築造されていて舟形刳抜石棺が収められ副葬品として刀、剣、鏃が検出されており被葬者は男性の武人と考えられている。主体部は竪穴式石室(石槨)であったろう。直ぐ近くに15号墳がある。
直径約 2m、 高 さ約 0.8mの 小円墳で、墳丘は壊変している。削平されなかったことはよかった。組み合わせ式の石棺一基が検出されている。六世紀前半に築造されたものであろう。すぐ傍には大型の円墳14号がある。
14号のブログ記事は平成31年(2019)4月29日から5月4日
15号のブログ記事は平成31年(2019)4月26日から4月28日である。
南方古墳群2号墳(宮崎県)
第2号墳は天下神社の社殿の裏側にあり、石室の一部と思われる大きい石が露出している。石には石切りの鑿の跡がついている。何故途中で止めたかと言うと「石工がこの石を切り割ろうとしたところ、多くの烏が舞って来て騒ぎ立て、果ては石工に飛びかかろうとしたので、石工は恐れて逃げ帰った」と伝えられ、この痕跡はその時のものであるという。
古墳は半円形状で神社建立によって半分が削られてしまったのである。御多分に漏れずとはこのことである。
径25m 高さ4.1mの大型円墳である。残された巨石があることから横穴式石室を持つものと思われ、この地域にあっては珍しいと言えるであろう。
当該ブログの記事は平成31年(2019)4月19日から24日までである。