街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

母子旅(またまた湯平)

2008-04-24 10:10:01 | 街道関連

 春雨の中の豊後中村駅、なぜか朱塗りの瓢箪がぶらさげられている。
昔のままの駅頭に立つ方は夢大吊橋行きのバスを待つ方ですが、日本の方ではありません。失礼とは思いましたが話を聞いてみますと中国語です。それで「あなたがたは中国の方ですか」と中国語で聞きますと「違います。台湾人です」と中国語で言いました。「おっと。中国と台湾は別なのだった」と頭の中で理解しました。
 するとご主人が中国語で私に話しかけてきました。私を中国人と勘違いしたのです。
 (私)「中国人ではなく日本人です。三十年前大学で中国語を勉強しました。あなたは日本語ができますか」(中国語)
 (彼)「いいえ ほんの少しです」(中国語)
 (私)「私もほんの少しです」(中国語)
すると次は英語で
 (彼)「英語は出来ますか」(英語)
 (私)「はい少しは」(英語)
等とやり取りをしました。この方は台湾の大学の教授を務め、二週間の休みを取り、九州を見てまわっているとのことでした。ここからはバスで夢大吊橋に向かうと言うことでした。また、広島大学の教授に友人がいるとのことです。
 別れまぎわにはご夫婦で見送ってくれました。車が見えなくなるまで手を振ってくれていました。少しでも話が出来るということは良いことだとつくづく思いました。
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母子旅(またまた湯平)

2008-04-24 00:34:45 | 街道関連

 雨に濡れた湯平を後にする。また連れて行ってもらいたいと言うほど母も気に入ってくれた。季節も良かったのも一つの理由であろうし、後で聞いた話だが、軽い皮膚病が治ったそうだ。次に行くときは容器を持って行き湯を持って帰ろうなどといっていた。湯だけでなくその佇まいと「ふみちゃん食堂」のだんご汁も気に入ったらしい。よかったよかった。
 湯平を後にして豊後中村駅に寄った。ここは私が17歳、高校二年の終わりに友人と自転車旅行で一泊した所なのである。当時の周辺の記憶は全く無いが駅名だけは記憶していた。それで寄った訳である。この駅は昔から九重登山の入口で有名なのだが、今ではあの夢大吊橋の最寄り駅でもある。ここからバスも出ている。ここでそのバスを待っているご夫婦にお会いし、少し話をした。日本語ではない。(写真:豊後中村駅 中に入る母の姿がある)
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母子旅(またまた湯平)

2008-04-23 08:37:43 | 街道関連

 砂の湯で大阪から出張してきた方に会った。奥さんもご一緒で母と隣の女湯で話をしている。このご夫婦は由布院に泊まったのだけれど風呂が無かったと言うのでここを紹介されて来たのであった。もう一箇所銀の湯に入って大阪へ帰ると言うことであった。しかも車である。安全を願ってここで別れた。そして一人のんびりと入浴することが出来た。
 小腹も空いたので例によって「ふみちゃん食堂」へと向かった。私はだんご汁定食、母はその単品である。母はそれを見たとき全部は食べられないかもと言っていたが、素朴な味と、少々時間をかけて食べたので結局完食した。ふみちゃん同様いい味を出している。
 表に出ると雨が落ちていた。気になるほどの雨ではなかったが石畳は濡れている。私はその濡れ具合に風情を感じるのではあるが、足元のおぼつかない母には極力の注意が必要で、風情など二の次である。下り坂なので私が前を歩き危なくないような箇所を選んで降りてゆくのである。(写真:雨に濡れ石畳がはっきりとわかる)
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母子旅(またまた湯平)

2008-04-22 08:21:23 | 街道関連
 三本の桜を橋の上から見る。なかなか絵になる。感心しつつ石畳を歩く。齢83になる母であるが、まだ足腰は衰えていない。が、あまり思うように歩けないようである。途中から昔のままのごつごつとした石の道が続くようになる。足の弱いものには歩きにくい。湯平の良さもであり、悪さでもある。私は先に歩きながら足元のおぼつかない母の為に歩きやすい箇所を見つけながら先導するのである。湯平の好い加減のところで温泉に行く。そこは砂の湯で細い橋を渡るとすぐ左に下りる。その場所にある。ここ砂の湯は川の水が溢れると温泉が水没すると言われる。確かにすぐ横を轟々と水が流れ落ちていく。急峻である。また前夜来の雨で水嵩も増している。まあ今日は水没することはないであろう。(写真:川に突き出す三本の桜。湯平の入口から写す。)
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母子旅(またまた湯平)

2008-04-21 08:02:54 | 街道関連

 桜の向うが湯平の入口である。誰が植えたのか、枝が川に向かって伸びてゆく。
これは絵になる。今まで何度か訪れたことがあるがこの風景は初めてである。僅か三本の桜だ。それがこうまで興味をそそる風景を作り出すとは。植えた人は計算ずくだったのであろうか。
 母もこの風景に感動(少し大袈裟か)してくれたようだ。ここまで桜尽くしになるとは私も思っていなかったことなので、この季節に感謝し、湯平の存在に感謝した。(写真:二種類の桜が植えてある。山桜、黄緑がかった桜は恐らく千原桜であろう。湯平は春の訪問者をこのようにして迎えてくれるのである。感謝感激である。)
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母子旅(またまた湯平)

2008-04-20 09:02:51 | 街道関連

 父が亡くなり母が塞ぎこむことが多くなった。その様子を見るたびに胸が締め付けられる思いであった。仕事の都合上なかなか外に連れ出すことが出来なかったが、たまたま日にちが取れて連れ出すことが出来た。そこで手前味噌ではあるけれど私の好きな湯平へ行くことにした。母もひなびた温泉を好むので意見が一致したわけである。道中は山々を縫って道が続くので、あちらを向いてもこちらを向いても桜、桜の山である。しかもソメイヨシノではない。多種多様の桜を見ることが出来た。丁度いい時期に行くことが出来たのである。
 湯平の入口にある駐車場には一本の大きな山桜がある。花は小さく華奢な花でひっそりと咲いているかのようであった。見ごたえはそれほどではないかもしれないが、山の中で咲いている。これは趣があって良い。母も私も都会では見ることが出来ない桜を目の当たりにして感動したのである。これだけでもここに連れてきたかいがあったと言うものだ。
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春の秋月街道

2008-04-19 00:21:05 | 秋月街道

 11時32分香春発11時37分採銅所着。一時間半歩きのところ汽車は5分当たり前だなと思いながら歩いた道を車窓から確認する。本当に歩くには持って来いの所である。
 梅雨時は紫陽花街道になるので又そのときを楽しみにして汽車は帰路に誘う。

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春の秋月街道

2008-04-18 08:17:47 | 秋月街道

 やはり駅には桜が似合う。もうここは香春駅構内である。
 採銅所から約1時間半、意外とのんびりと、気持ちよく歩くことが出来た。少し汗ばんではいるがそれもまた清々しいと言える。私にはこれからが一年の始まりのようである。駅を背にして香春岳を見る。山自体が石灰岩の塊なので半分ほどが削り取られ、その全てが経済活動の渦に巻き込まれていったものである。写真中央付近に桜の塊がある。薄い桜色の靄がかかっている様に見える。来年の春はここに行って見ようという気になった。何処を向いても桜である。何度も言うがいい季節が到来した。(PS・次が最終回です。最後まで付き合ってくださいね。次の連載はまたまた湯平です。お楽しみに?)
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春の秋月街道

2008-04-17 08:31:36 | 秋月街道
 駅横の駐車場内に一本桜がある。恐らく駐車場になる前はこの付近にも桜並木が占拠していたのではなかろうか。あり難い事にこれだけを残しているようだ。
いい枝振りに花がびっしりと着いている。今日歩くことが出来たことに感謝である。雨が降るはずであったろうが空はどこまでも青く澄みわたっている。春はこうでなくてはいけない。
(PS.もうばれているかもしれん。たかが1時間半の歩きなのに12回も連載している。まだ駅に着いてはいないのだからもう少し続くのではないかと。正にそうなのである。期待してもらいたい。あしからず)
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春の秋月街道

2008-04-15 00:09:58 | 秋月街道
 道を変えたのには理由がある。適当に右を左としたのではない。この地には宮内庁が管理をする古墳がある。河内王稜である。マウンド状になっている。恐らく朝鮮式の古墳であろう。香春は古来より交通の要所であった。この香春、かはらは恐らく朝鮮由来の言葉であろうと思われる。銅が採掘されたことから朝鮮からの技術者が渡り住んでいたのであろう。彼らを統率した人物の古墳ではないか。と、自分一人で勝手な想像をしていた。私の妻はその様なことに全く興味も無いので私に耳を貸さない。更に私の伯母に言わせれば「人のお墓に行って何が面白いのかね」となるのだ。既に街道から道を外している。自分の趣味だけで歩いているのである。
 
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