東直子 2011年 中公文庫版
歌人のエッセイ集。
タイトルのとおり、ごはんをとりあげている。
原題は『今日のビタミン*短歌添え*』ってくらいなんで、一章にひとつ短歌がついてる。
どーゆーわけか、そういうエッセイが、私は好きだったりする。散文がつらつらとあって、そこに一篇の歌がついてるようなやつね。
歌物語っつーのか、伊勢物語だか源氏物語だかみたいに、サーッと物語が書いてあって、話が盛り上がったとこにさしかかると、思わず歌が飛び出しちゃうような? なんかそーゆー文学を読んでたDNAみたいのが、身体か脳のどこかに受け継がれてんぢゃないかと、思ってしまう。
ちなみに、本書を一読したなかで、いちばん好きな歌は、
>干ししいたけや干し大根、ひじきなどを水につけて戻しているとき、「とりかえしができるもの」を見ているようで、ほんのりうれしくなる。
という、なんか奥深さを感じる一文を含む一節に付いていた、
「取り戻せることもあるのよ とにかくね今の今なら今が今なの」
である。うん、素敵な日本の言葉だ。
散文も素敵です。
お気に入りは「冬の滋味」という章。
短いから全文写し出してもいいくらいだけど、とりあえず抜粋して引用すると、
>冬が深まると、どういうわけか、物の考え方が悲観的になってゆく。(略)そういうときには、冬の野菜がよく効く。それも生のまま食べるのがいい。
>冬の生野菜は、決してあわてて食べてはいけない。ゆっくりじっくり、あるようなないような、野菜の持つかすかな味わいを感じながら食べる。(略)食べ物がおいしいかまずいかを、口に入れた一瞬で判断してはいけない。瞬間の印象ももちろん大事だとは思うけれど、ほんとうにその味を望んでいたかどうかは、口の中でよくすりつぶし、舌全体にゆきわたらせてからでなければ判断できないと思う。(略)
>それからあの、サ行で形成されているような感触。(略)
という感じ。なにがどうしてどうイイのか、説明できないけど、この一編はとてもいい。
この文章に出会えたのは、2011年の収穫のひとつに数え上げてもいい。
野菜の食べ方もそうだけど、食べ物について書いてあるって言っても、どこの店の何がおいしいとかって話ぢゃなくて、「ごはん」=家庭料理が主役である。
自分で料理つくるときのことも当然あちこちにあるんだけど、お、役立つかも、って思わされちゃう話もいっぱい。
たとえば、カレーにはかくし味として野菜ジュースをコップ一杯入れると、コクが二割増しになること請け合い、とか。
(1月8日追記 私はカレーつくるときには、トマトを入れる。皮むいてタネのぞいて小さくザク切りにして。)
バニラアイスクリームに、アマレットというリキュールを少したらして食べるのが、とても好きだとか。
生姜をするときは、おろし金にアルミホイルを針が飛びだすように押し敷いてすると、洗うのも楽だとか。
そんなこんながあって、出てくる食べ物たちのなかで、私が食べたことなくて、あー、それ食べてみてー、と思ったのは、焼き茗荷!
>真っ二つに切った茗荷の断面に、みそを塗ったものと柚子こしょうを塗ったものの二つを用意して、焼いた。食べた。おいしかった。
ああ、それ、食べたい。
近いうちに、機会つくって、絶対やろう。
この茗荷の章の締めくくりの文章も、ひじょうに美しい。
その一部分だけ、引用しときます。
>食べ物が美味しく感じられるのは、憂いなく生きているから。
歌人のエッセイ集。
タイトルのとおり、ごはんをとりあげている。
原題は『今日のビタミン*短歌添え*』ってくらいなんで、一章にひとつ短歌がついてる。
どーゆーわけか、そういうエッセイが、私は好きだったりする。散文がつらつらとあって、そこに一篇の歌がついてるようなやつね。
歌物語っつーのか、伊勢物語だか源氏物語だかみたいに、サーッと物語が書いてあって、話が盛り上がったとこにさしかかると、思わず歌が飛び出しちゃうような? なんかそーゆー文学を読んでたDNAみたいのが、身体か脳のどこかに受け継がれてんぢゃないかと、思ってしまう。
ちなみに、本書を一読したなかで、いちばん好きな歌は、
>干ししいたけや干し大根、ひじきなどを水につけて戻しているとき、「とりかえしができるもの」を見ているようで、ほんのりうれしくなる。
という、なんか奥深さを感じる一文を含む一節に付いていた、
「取り戻せることもあるのよ とにかくね今の今なら今が今なの」
である。うん、素敵な日本の言葉だ。
散文も素敵です。
お気に入りは「冬の滋味」という章。
短いから全文写し出してもいいくらいだけど、とりあえず抜粋して引用すると、
>冬が深まると、どういうわけか、物の考え方が悲観的になってゆく。(略)そういうときには、冬の野菜がよく効く。それも生のまま食べるのがいい。
>冬の生野菜は、決してあわてて食べてはいけない。ゆっくりじっくり、あるようなないような、野菜の持つかすかな味わいを感じながら食べる。(略)食べ物がおいしいかまずいかを、口に入れた一瞬で判断してはいけない。瞬間の印象ももちろん大事だとは思うけれど、ほんとうにその味を望んでいたかどうかは、口の中でよくすりつぶし、舌全体にゆきわたらせてからでなければ判断できないと思う。(略)
>それからあの、サ行で形成されているような感触。(略)
という感じ。なにがどうしてどうイイのか、説明できないけど、この一編はとてもいい。
この文章に出会えたのは、2011年の収穫のひとつに数え上げてもいい。
野菜の食べ方もそうだけど、食べ物について書いてあるって言っても、どこの店の何がおいしいとかって話ぢゃなくて、「ごはん」=家庭料理が主役である。
自分で料理つくるときのことも当然あちこちにあるんだけど、お、役立つかも、って思わされちゃう話もいっぱい。
たとえば、カレーにはかくし味として野菜ジュースをコップ一杯入れると、コクが二割増しになること請け合い、とか。
(1月8日追記 私はカレーつくるときには、トマトを入れる。皮むいてタネのぞいて小さくザク切りにして。)
バニラアイスクリームに、アマレットというリキュールを少したらして食べるのが、とても好きだとか。
生姜をするときは、おろし金にアルミホイルを針が飛びだすように押し敷いてすると、洗うのも楽だとか。
そんなこんながあって、出てくる食べ物たちのなかで、私が食べたことなくて、あー、それ食べてみてー、と思ったのは、焼き茗荷!
>真っ二つに切った茗荷の断面に、みそを塗ったものと柚子こしょうを塗ったものの二つを用意して、焼いた。食べた。おいしかった。
ああ、それ、食べたい。
近いうちに、機会つくって、絶対やろう。
この茗荷の章の締めくくりの文章も、ひじょうに美しい。
その一部分だけ、引用しときます。
>食べ物が美味しく感じられるのは、憂いなく生きているから。
