立川談志 2010年 春秋社
最近になって古本を買った、談志家元の本。
落語論というよりも、文明論というか、世の中について感じてることを語ったもの。
動物と人間の違いはなにかっていうと、人間はほかの動物にある本能を備えていない、失ってしまった。
猫の子は教えられなくても毒なものは食わない、それに比べて人間は「子どもの手の届かない所に」なんて注意書きがないと何すっかわかんない。
ところが、人間には知性というなの好奇心があったから、便利なものをつくって周囲をカバーしてきたんで死滅しなかった、これを文明という。
なーんて調子だ。
人間は本能が壊れてるから、生まれてきた赤ん坊も自分だけで生活してくことができない。
なので親が面倒をみるんだが、こうやって食え、こうして歩けと、なんだかんだ子どもはおしつけられる。
好きなようにしたいんだが、子どもが周囲を見てみると、みんな大人はそうやって生きてるんで、しかたないからマネをする、これを常識という。
だから根本的には、常識ってのは不快なもんである。
で、常識に対して非常識というのが発生するんだが、その非常識を認めるわけにはいかない。
そこで、人間を常識から解放させる存在として落語家が登場して、寄席という空間で喋るんだという。
まあ、そういうことが、難しく書いてあるんぢゃなくて、落語の「やかん」のノリで書いてあるんだけどね、この本。
ちなみに「やかん」っていうのは、落語のひとつ。
八っつぁんがご隠居のところに行って、いろんな質問をするんだが、隠居は知ったかぶりして、わけわからんこと言うんだな。
で、ふつうは、「ヒラメってのは、どうしてヒラメって言うんで?」「平ったいとこに目があるから、ひらめ」くらいなんだけど。
談志の「やかん」は面白いよぉ。
「雨が降ると、池になりますよね。なんで池っていうんです?」
「大池さんとか池田さんとか池山さんとかが、近所に居るから」
とかね。
「湖と沼はどういうふうに違うんですか?」
「“気持ちのいい”のが湖で、“気持ちの悪い”のが沼だよ」
とかね。
極めつけは、
「海はしょっぱいですね。なんでしょっぱいんですか?」
「鮭(シャケ)がいるからだよ」
ここんとこは、ネタわかってる・知ってるんだけど、何度聞いても、笑う。
最近になって古本を買った、談志家元の本。
落語論というよりも、文明論というか、世の中について感じてることを語ったもの。
動物と人間の違いはなにかっていうと、人間はほかの動物にある本能を備えていない、失ってしまった。
猫の子は教えられなくても毒なものは食わない、それに比べて人間は「子どもの手の届かない所に」なんて注意書きがないと何すっかわかんない。
ところが、人間には知性というなの好奇心があったから、便利なものをつくって周囲をカバーしてきたんで死滅しなかった、これを文明という。
なーんて調子だ。
人間は本能が壊れてるから、生まれてきた赤ん坊も自分だけで生活してくことができない。
なので親が面倒をみるんだが、こうやって食え、こうして歩けと、なんだかんだ子どもはおしつけられる。
好きなようにしたいんだが、子どもが周囲を見てみると、みんな大人はそうやって生きてるんで、しかたないからマネをする、これを常識という。
だから根本的には、常識ってのは不快なもんである。
で、常識に対して非常識というのが発生するんだが、その非常識を認めるわけにはいかない。
そこで、人間を常識から解放させる存在として落語家が登場して、寄席という空間で喋るんだという。
まあ、そういうことが、難しく書いてあるんぢゃなくて、落語の「やかん」のノリで書いてあるんだけどね、この本。
ちなみに「やかん」っていうのは、落語のひとつ。
八っつぁんがご隠居のところに行って、いろんな質問をするんだが、隠居は知ったかぶりして、わけわからんこと言うんだな。
で、ふつうは、「ヒラメってのは、どうしてヒラメって言うんで?」「平ったいとこに目があるから、ひらめ」くらいなんだけど。
談志の「やかん」は面白いよぉ。
「雨が降ると、池になりますよね。なんで池っていうんです?」
「大池さんとか池田さんとか池山さんとかが、近所に居るから」
とかね。
「湖と沼はどういうふうに違うんですか?」
「“気持ちのいい”のが湖で、“気持ちの悪い”のが沼だよ」
とかね。
極めつけは、
「海はしょっぱいですね。なんでしょっぱいんですか?」
「鮭(シャケ)がいるからだよ」
ここんとこは、ネタわかってる・知ってるんだけど、何度聞いても、笑う。