トルストイ/原卓也訳 昭和49年 新潮文庫版
なんで、こんなもの持ってんだろうね、って見つけた瞬間に自分でも不思議に思ってしまった文庫。
まあ、きっと若気の至りでトルストイとか読んでみたくなったんだろうけど、長そうなのは読む根気がないので、いちばん薄っぺらそうな本を手に取ったんだろうな、俺。
もちろん昭和49年にそんな気になるはずもなく、持ってるのは平成元年の25刷。
表題のとおりの、短編がふたつだけ入ってる文庫。
ロシア文学ったら、滔々と己の心中を独白するかのような長いセリフのまわしかたが何とも魅力的なんだけど(慣れないと、退屈で疲れるだけ)、短編でもそのあたりは譲ってくれないよ。
「クロイツェル・ソナタ」のほうは、まさにそんな感じなんだけど、旅の汽車のなかで居合わせた乗客の会話から始まり、結婚は神聖なものであるべきだ、みたいな古き良きロシア的な意見に対して、そんなきれいごとの愛情なんてもんは無いんだよと異を唱える紳士が主人公。
妻の不貞を疑う夫の話なんだが、そういう嫉妬とか猜疑心とかって感情だけぢゃなくて、自分が妻に対して持ち合わせてる感情だって、肉体的なものに関する欲望だけなんぢゃないかと、己の内面を省みてウジウジと悩むとこが、やっぱロシア文学的でいいねえ。
文庫の解説によると、どうやらトルストイはマジで、性的欲望こそ不幸や悲劇の源、望ましいのは絶対の純潔をつづけること、と考えてたっていうんだけど、私ゃまた、誇張して描くことでシニカルにっていうか逆にそういう考えをけなしてんのかと思っちゃった。
「悪魔」のほうは、ロシアの貴族階級の末裔の若者の話で、独身時代には村の誰かの女房とたびたび遊んでたってとこが発端である。割り切った関係ってやつだね。
なんせ、『健康のために必要なだけなんだ』なんて自分で自分に言い訳しちゃあ関係を続けちゃうんだから、貴族階級というのはうらやましい。
んで、やがて理想の伴侶をみつけて、幸せな結婚生活を始めることになるんだけど、自分ではあとくされなく過去は清算したつもりでいた。
ところが、その女が自分の近くにまた現れることになった。
で、ここで問題なのは、その女が、復縁を迫ってくるとか、過去の関係を盾に取って恐喝まがいなこと仕掛けてくるとか、そういうんぢゃないんだよね。男のほうが、まだ俺はあの女に心が動いてしまうのかとか、ウジウジ悩む。
ロシア文学にしては、プロットが短くて、さくさく読める一品。
なんで、こんなもの持ってんだろうね、って見つけた瞬間に自分でも不思議に思ってしまった文庫。
まあ、きっと若気の至りでトルストイとか読んでみたくなったんだろうけど、長そうなのは読む根気がないので、いちばん薄っぺらそうな本を手に取ったんだろうな、俺。
もちろん昭和49年にそんな気になるはずもなく、持ってるのは平成元年の25刷。
表題のとおりの、短編がふたつだけ入ってる文庫。
ロシア文学ったら、滔々と己の心中を独白するかのような長いセリフのまわしかたが何とも魅力的なんだけど(慣れないと、退屈で疲れるだけ)、短編でもそのあたりは譲ってくれないよ。
「クロイツェル・ソナタ」のほうは、まさにそんな感じなんだけど、旅の汽車のなかで居合わせた乗客の会話から始まり、結婚は神聖なものであるべきだ、みたいな古き良きロシア的な意見に対して、そんなきれいごとの愛情なんてもんは無いんだよと異を唱える紳士が主人公。
妻の不貞を疑う夫の話なんだが、そういう嫉妬とか猜疑心とかって感情だけぢゃなくて、自分が妻に対して持ち合わせてる感情だって、肉体的なものに関する欲望だけなんぢゃないかと、己の内面を省みてウジウジと悩むとこが、やっぱロシア文学的でいいねえ。
文庫の解説によると、どうやらトルストイはマジで、性的欲望こそ不幸や悲劇の源、望ましいのは絶対の純潔をつづけること、と考えてたっていうんだけど、私ゃまた、誇張して描くことでシニカルにっていうか逆にそういう考えをけなしてんのかと思っちゃった。
「悪魔」のほうは、ロシアの貴族階級の末裔の若者の話で、独身時代には村の誰かの女房とたびたび遊んでたってとこが発端である。割り切った関係ってやつだね。
なんせ、『健康のために必要なだけなんだ』なんて自分で自分に言い訳しちゃあ関係を続けちゃうんだから、貴族階級というのはうらやましい。
んで、やがて理想の伴侶をみつけて、幸せな結婚生活を始めることになるんだけど、自分ではあとくされなく過去は清算したつもりでいた。
ところが、その女が自分の近くにまた現れることになった。
で、ここで問題なのは、その女が、復縁を迫ってくるとか、過去の関係を盾に取って恐喝まがいなこと仕掛けてくるとか、そういうんぢゃないんだよね。男のほうが、まだ俺はあの女に心が動いてしまうのかとか、ウジウジ悩む。
ロシア文学にしては、プロットが短くて、さくさく読める一品。
