最近読み返した小説(村上龍の「蝶乱舞的夜総会」)の一節に、
>遊撃手がセカンドベース寄りの強いゴロを横っ跳びに捕球するとするね、いいかね、打者がボールを撃った瞬間にこの遊撃手はイメージする、自分がボールを見事に捕えた映像を頭が全身に放射する、もちろんそれは考えてそうするのではない、意識はしないのだが、人間は、そのイメージに従って肉体を操るのだよ、そして、そのイメージと実際の動きとのずれが少ない人間ほど優秀で、ずれがほとんどない人間は天才だ(略)
というのがあったんだけど。
まあ、そういうもんである。
野球は私が最も人並にできるスポーツなんで、この例えはわかりやすい。
自分とボールが出会う座標が見えて、そこまでの自分の動き(方向と速度)がイメージでき、捕ったボールをこんどは他の野手に投げるとき、自分のスローしたボールが相手のグローブにおさまる軌跡のイメージ、それを実現するように腕を振ることができる、レベルはどうあれ、そんな感じ。
正直にいうと、私にはセンスがないので、それは若いとき、まだ脳神経がアジャストできるときに、反復訓練によってどうにか身に着けたものである。
(ちなみに野球センスがあるかどうかは、センターに守らせて正面の打球を捕らせればわかる。ライナーが飛んできたとき、前に出るべきか後ろに下がるべきか、センスのない私には瞬時に分からない。)
体力も衰えたし、ブランクが長くなってしまった今は、思ったように動けないことは、やってみるまでもなく明らかである。
ぢゃあ、とりもどすために練習をすればいいかっていうと、なかなか簡単ではない。
トシいってからの練習について考えると、私が若いとき、けっこう年上の人が(と言っても今の私より若かったか?)熱心にテニスとか練習するときいて、なんでそんなにやるのかって訊いたら、「技術の向上が目的ぢゃなくて、若いとき追いつけたボールに今は追いつけない、そのことを確認するためにやる必要がある、それを知らずに追いかけるとケガをするから」って感じの答えが返ってきた、意味がホントにわかるのは自分がトシをとってからである。
で、何を言いたいかっていうと、現在、私が唯一やってる運動は、週に一度の乗馬なんだけど、私は乗馬に関しては、そういうイメージをもってない、だからうまく乗れない、ってことを再確認したってことである。
馬が次の一歩を踏み出して着地したときにいる場所、そこに自分の身体をずれなく動かしてなきゃいけないんだけど、そのイメージがそもそもないから、実際に動けない、遅れをとって跳ね上げられるように馬から離れちゃう・人馬の重心がバラバラになっちゃう、そういうこと。
これがねえ、せめて若いときに訓練してたら、多少はイメージをつくりあげることができたんだろうけど。トシいってから学んだスポーツは、そこがダメだ、アタマで考えてるあいだに身体が遅れを(はるかに遅れを)とる。
閑話休題。
さ、乗馬に行くよ。
予想最高気温、東京は35度、横浜は34度なんていうラジオを聴きながら、多摩川を渡っていく。
そこの1度の差は気休めにもならん、0度と1度はちがうってのは札幌で学んだような気がするけどね。
だいたい、オフィシャルの観測気温ってのは、きっと風通しのいい日陰かなんかで(百葉箱?)測ってるんだろうから、多くの人の体感とは違うはず。実際にひとが感じる気温は、発表されるものよりもっと高い。
まあ、いいや、暑いのわかってて行くんだから、泣き言はなし。
でも、とにかく馬に余計な負担をかけないように。馬装は遅く始めて手早く、手入れは手ぇ抜かないけどさっさと終わらる、なるべく馬にストレスかける時間少なくしてやりたい。

きょうの馬は、ゴールドパンサー、おっと、めずらしい。
一回だけ乗ったことある、6月2日の試合で、テン乗りで障害に出場。
思い出したくないなー、思い出すたびに情けない、勝っていいですよ的に用意された馬なのに、4番障害でビタ止まり。
それも、手綱放り投げて乗って、ダラッとした走りでやらかしたんだから、罪は重い。
練習で乗るのは初めて。
どんなんだろ?え?こないだバタバタしてた? そんなことする馬とは思えないけどな。

馬場に入って、アブミの長さ直したら、アブミはかないままブラブラと常歩。
あんまり手でジャマしちゃいけないタイプだと思うんだよねえ、なんとなく。
列になって、4頭立ての3頭目。きょうは暑いし、馬たちも週末の仕事で疲れてるから、軽運動だって。
軽速歩で蹄跡を進んでいると、「もうちょっと肘を開閉して」と言われる。「拳を一定の位置に」
手をすこし前気味にして、手綱を短くもって、もちろんハミにガチャガチャ当てないように拳を安定させたいんだが、拳を置いとこうと思うと、バカだから肩から肘にかけてもロックしちゃうんで、そういうことになる。
馬の反撞が身体のなかを通り抜けてく動きのなかで拳を一定の位置に保とうと思ったら、そのぶん揺れに対してほかの関節を動かさなきゃいけないんだけどね。
しかし、なかなかいい反撞をしている。障害のときは、いきなり駈歩だけだったので、速歩で乗るのは初めてといっていい。
フワンフワンしてて楽しい。反撞が大きいけど、柔らかい。アブミ一歩ごとに踏み下げられないか、努力する。
すぐに輪乗りでの駈歩。ポンと出るのでホメる。脚つかうと反応してくれるのでホメる。
あんまり手を強くすると、口を身体に近づけて巻き込むようにして外されちゃうような動きにつながりかねない気がするので、なんとなーくな感じで乗っていく。
すこし内に傾きかける感じもするけど、手をバタバタしたり、反対側のアブミに体重かけたりすると、余計ヘンなことになるから、馬の背中に左右均等に人がまたがることだけを考える。
「もうすこし乗り込んでいって」と言われる。
意味はもちろん伝わってるんだけど、あらためて文字におこすと難しい。簡単にいうと鞍にハマってけぐらいでいいと思うんだけど。
馬の動きにあわせて人も動いて、内方姿勢で腰の前出をしろってことでいいかなあ。
蹄跡にでて駈歩の歩度を伸ばすと、あっという間に前の馬に近づいて追突しちゃいそうになる。
おさえたら、すぐかえす、って意識してんだけど、あまりに勢いよく近づくと、ついつい引っ張りぱなしになる、かえって危ない。
んなこと繰り返してると、輪乗りのなかでも、馬の背中の推進スイッチをグリグリ圧しちゃってるような気がするもんだからって、拳を腹のほうに引っ張り込んだうえで、フワーッと立ち上がりかけるような姿勢になってしまう。
すかさず「そういうときこそ乗り込んで」と指摘される。
歩度をつめようと思うんだったら、手綱を引っ張るんぢゃなくて、しっかり座ったうえで、人間の身体の動きを遅くすることにより、その動きに馬の動きを合わせさせようというイメージでなくちゃならない。
ああ、思ったように身体動かせないなあ、っていうか、そもそも「思ったように」が明確な形として出来上がっていない、トシとってから始めたスポーツはツライよ。
とはいえ、珍しく命じられた反対駈歩もしばらく維持できたし、思ったよりヘンなことにはならなかった。
なかなか扶助に忠実、なにごとにも敏感に反応してくれて、いい馬だなと思った、ゴールドパンサー。

運動は実質15分くらいで終わり、乗り替わり。
ほかの人が乗ってるの見てると、とてもいい速歩をしていることに気づく。まるで馬場馬術の試合みたいな速歩。
ほかの馬にくらべると、明らかに一歩一歩が高く跳びあがってるみたいに見える。
(タラタラした速歩だと、後ろ肢ってツメが地面の上を引きずってるようにしか見えない。)
そのぶん、なんか乗り手のイメージより、一歩一歩の滞空時間が長くなってるのかもしれない。ちょっと他の馬との違いに、慣れないと感覚が狂いそうといったら大袈裟か。
二班目も15分くらいで終了。
帰ったら馬丸洗い、おとなしくしてるけど、顔に水かけるの嫌がるタイプか。
おわったらリンゴやる。いまの時期、リンゴはムダに高いので、スイカかなんかにしたいんだけどな、乗馬に行くのにスイカ持ってくるのも何だしね。
どうでもいいけど、私の長靴は後ろにファスナーのついてるタイプなんだけど、しばらく前から引っ掛かって調子の悪かった部分が、いよいよダメになってきて、開け閉めが難しくなってきた。しかたないんで、修理に出そうかと思う。
ちなみに、この長靴は貰いもんで、私には長靴を自分でつくる、新調しようなんて気はさらさらない。この長靴が使いもんになんなくなったら、乗馬引退のときである。
>遊撃手がセカンドベース寄りの強いゴロを横っ跳びに捕球するとするね、いいかね、打者がボールを撃った瞬間にこの遊撃手はイメージする、自分がボールを見事に捕えた映像を頭が全身に放射する、もちろんそれは考えてそうするのではない、意識はしないのだが、人間は、そのイメージに従って肉体を操るのだよ、そして、そのイメージと実際の動きとのずれが少ない人間ほど優秀で、ずれがほとんどない人間は天才だ(略)
というのがあったんだけど。
まあ、そういうもんである。
野球は私が最も人並にできるスポーツなんで、この例えはわかりやすい。
自分とボールが出会う座標が見えて、そこまでの自分の動き(方向と速度)がイメージでき、捕ったボールをこんどは他の野手に投げるとき、自分のスローしたボールが相手のグローブにおさまる軌跡のイメージ、それを実現するように腕を振ることができる、レベルはどうあれ、そんな感じ。
正直にいうと、私にはセンスがないので、それは若いとき、まだ脳神経がアジャストできるときに、反復訓練によってどうにか身に着けたものである。
(ちなみに野球センスがあるかどうかは、センターに守らせて正面の打球を捕らせればわかる。ライナーが飛んできたとき、前に出るべきか後ろに下がるべきか、センスのない私には瞬時に分からない。)
体力も衰えたし、ブランクが長くなってしまった今は、思ったように動けないことは、やってみるまでもなく明らかである。
ぢゃあ、とりもどすために練習をすればいいかっていうと、なかなか簡単ではない。
トシいってからの練習について考えると、私が若いとき、けっこう年上の人が(と言っても今の私より若かったか?)熱心にテニスとか練習するときいて、なんでそんなにやるのかって訊いたら、「技術の向上が目的ぢゃなくて、若いとき追いつけたボールに今は追いつけない、そのことを確認するためにやる必要がある、それを知らずに追いかけるとケガをするから」って感じの答えが返ってきた、意味がホントにわかるのは自分がトシをとってからである。
で、何を言いたいかっていうと、現在、私が唯一やってる運動は、週に一度の乗馬なんだけど、私は乗馬に関しては、そういうイメージをもってない、だからうまく乗れない、ってことを再確認したってことである。
馬が次の一歩を踏み出して着地したときにいる場所、そこに自分の身体をずれなく動かしてなきゃいけないんだけど、そのイメージがそもそもないから、実際に動けない、遅れをとって跳ね上げられるように馬から離れちゃう・人馬の重心がバラバラになっちゃう、そういうこと。
これがねえ、せめて若いときに訓練してたら、多少はイメージをつくりあげることができたんだろうけど。トシいってから学んだスポーツは、そこがダメだ、アタマで考えてるあいだに身体が遅れを(はるかに遅れを)とる。
閑話休題。
さ、乗馬に行くよ。
予想最高気温、東京は35度、横浜は34度なんていうラジオを聴きながら、多摩川を渡っていく。
そこの1度の差は気休めにもならん、0度と1度はちがうってのは札幌で学んだような気がするけどね。
だいたい、オフィシャルの観測気温ってのは、きっと風通しのいい日陰かなんかで(百葉箱?)測ってるんだろうから、多くの人の体感とは違うはず。実際にひとが感じる気温は、発表されるものよりもっと高い。
まあ、いいや、暑いのわかってて行くんだから、泣き言はなし。
でも、とにかく馬に余計な負担をかけないように。馬装は遅く始めて手早く、手入れは手ぇ抜かないけどさっさと終わらる、なるべく馬にストレスかける時間少なくしてやりたい。

きょうの馬は、ゴールドパンサー、おっと、めずらしい。
一回だけ乗ったことある、6月2日の試合で、テン乗りで障害に出場。
思い出したくないなー、思い出すたびに情けない、勝っていいですよ的に用意された馬なのに、4番障害でビタ止まり。
それも、手綱放り投げて乗って、ダラッとした走りでやらかしたんだから、罪は重い。
練習で乗るのは初めて。
どんなんだろ?え?こないだバタバタしてた? そんなことする馬とは思えないけどな。

馬場に入って、アブミの長さ直したら、アブミはかないままブラブラと常歩。
あんまり手でジャマしちゃいけないタイプだと思うんだよねえ、なんとなく。
列になって、4頭立ての3頭目。きょうは暑いし、馬たちも週末の仕事で疲れてるから、軽運動だって。
軽速歩で蹄跡を進んでいると、「もうちょっと肘を開閉して」と言われる。「拳を一定の位置に」
手をすこし前気味にして、手綱を短くもって、もちろんハミにガチャガチャ当てないように拳を安定させたいんだが、拳を置いとこうと思うと、バカだから肩から肘にかけてもロックしちゃうんで、そういうことになる。
馬の反撞が身体のなかを通り抜けてく動きのなかで拳を一定の位置に保とうと思ったら、そのぶん揺れに対してほかの関節を動かさなきゃいけないんだけどね。
しかし、なかなかいい反撞をしている。障害のときは、いきなり駈歩だけだったので、速歩で乗るのは初めてといっていい。
フワンフワンしてて楽しい。反撞が大きいけど、柔らかい。アブミ一歩ごとに踏み下げられないか、努力する。
すぐに輪乗りでの駈歩。ポンと出るのでホメる。脚つかうと反応してくれるのでホメる。
あんまり手を強くすると、口を身体に近づけて巻き込むようにして外されちゃうような動きにつながりかねない気がするので、なんとなーくな感じで乗っていく。
すこし内に傾きかける感じもするけど、手をバタバタしたり、反対側のアブミに体重かけたりすると、余計ヘンなことになるから、馬の背中に左右均等に人がまたがることだけを考える。
「もうすこし乗り込んでいって」と言われる。
意味はもちろん伝わってるんだけど、あらためて文字におこすと難しい。簡単にいうと鞍にハマってけぐらいでいいと思うんだけど。
馬の動きにあわせて人も動いて、内方姿勢で腰の前出をしろってことでいいかなあ。
蹄跡にでて駈歩の歩度を伸ばすと、あっという間に前の馬に近づいて追突しちゃいそうになる。
おさえたら、すぐかえす、って意識してんだけど、あまりに勢いよく近づくと、ついつい引っ張りぱなしになる、かえって危ない。
んなこと繰り返してると、輪乗りのなかでも、馬の背中の推進スイッチをグリグリ圧しちゃってるような気がするもんだからって、拳を腹のほうに引っ張り込んだうえで、フワーッと立ち上がりかけるような姿勢になってしまう。
すかさず「そういうときこそ乗り込んで」と指摘される。
歩度をつめようと思うんだったら、手綱を引っ張るんぢゃなくて、しっかり座ったうえで、人間の身体の動きを遅くすることにより、その動きに馬の動きを合わせさせようというイメージでなくちゃならない。
ああ、思ったように身体動かせないなあ、っていうか、そもそも「思ったように」が明確な形として出来上がっていない、トシとってから始めたスポーツはツライよ。
とはいえ、珍しく命じられた反対駈歩もしばらく維持できたし、思ったよりヘンなことにはならなかった。
なかなか扶助に忠実、なにごとにも敏感に反応してくれて、いい馬だなと思った、ゴールドパンサー。

運動は実質15分くらいで終わり、乗り替わり。
ほかの人が乗ってるの見てると、とてもいい速歩をしていることに気づく。まるで馬場馬術の試合みたいな速歩。
ほかの馬にくらべると、明らかに一歩一歩が高く跳びあがってるみたいに見える。
(タラタラした速歩だと、後ろ肢ってツメが地面の上を引きずってるようにしか見えない。)
そのぶん、なんか乗り手のイメージより、一歩一歩の滞空時間が長くなってるのかもしれない。ちょっと他の馬との違いに、慣れないと感覚が狂いそうといったら大袈裟か。
二班目も15分くらいで終了。
帰ったら馬丸洗い、おとなしくしてるけど、顔に水かけるの嫌がるタイプか。
おわったらリンゴやる。いまの時期、リンゴはムダに高いので、スイカかなんかにしたいんだけどな、乗馬に行くのにスイカ持ってくるのも何だしね。

どうでもいいけど、私の長靴は後ろにファスナーのついてるタイプなんだけど、しばらく前から引っ掛かって調子の悪かった部分が、いよいよダメになってきて、開け閉めが難しくなってきた。しかたないんで、修理に出そうかと思う。
ちなみに、この長靴は貰いもんで、私には長靴を自分でつくる、新調しようなんて気はさらさらない。この長靴が使いもんになんなくなったら、乗馬引退のときである。