高橋源一郎 昭和63年 新潮文庫版
あるだけ読み返してみようと思ってる、村上龍と高橋源一郎なんだが。
発表は昭和60年、出たばっかの文庫を持ってるのは、同時代の日本の小説に興味を持ち出したころだからだろう。
あるいは、出たばかりの『優雅で感傷的な日本野球』がおもしろかったんで、過去さかのぼる形で、それ以前のものを求めてたのかもしれない。
しかしなー、これ、よくわからんのだよ。
なんせ、登場人物からして、「すばらしい日本の戦争」、「テータム・オニール」愛称はテイミイ(T・O)、「ヘーゲルの大論理学」といった皆さんで、これに比べたら「パパゲーノ」なんてのはまだましなほうだ。
「わたし」はポルノグラフィー作家で、そこへ「すばらしい日本の戦争」が立て続けにハガキを送ってくるんだが、「すばらしい日本の戦争」のアタマのなかは死躰でいっぱいらしく、そんなことばかり書いてある。
かつては自分もいたことのある、拘置所から「すばらしい日本の戦争」の身柄を引き取った「わたし」は、拘置所の医者でも無理だった、彼のアタマのなかから死躰を追い出すという治療にとりかかるべく、かつての同志T・Oに助力を求めるんだけど。
いやー、むずかしい話だ、説明できない。
(よって、あんまり好きにはなれない。)

あるだけ読み返してみようと思ってる、村上龍と高橋源一郎なんだが。
発表は昭和60年、出たばっかの文庫を持ってるのは、同時代の日本の小説に興味を持ち出したころだからだろう。
あるいは、出たばかりの『優雅で感傷的な日本野球』がおもしろかったんで、過去さかのぼる形で、それ以前のものを求めてたのかもしれない。
しかしなー、これ、よくわからんのだよ。
なんせ、登場人物からして、「すばらしい日本の戦争」、「テータム・オニール」愛称はテイミイ(T・O)、「ヘーゲルの大論理学」といった皆さんで、これに比べたら「パパゲーノ」なんてのはまだましなほうだ。
「わたし」はポルノグラフィー作家で、そこへ「すばらしい日本の戦争」が立て続けにハガキを送ってくるんだが、「すばらしい日本の戦争」のアタマのなかは死躰でいっぱいらしく、そんなことばかり書いてある。
かつては自分もいたことのある、拘置所から「すばらしい日本の戦争」の身柄を引き取った「わたし」は、拘置所の医者でも無理だった、彼のアタマのなかから死躰を追い出すという治療にとりかかるべく、かつての同志T・Oに助力を求めるんだけど。
いやー、むずかしい話だ、説明できない。
(よって、あんまり好きにはなれない。)
