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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

戦争論

2015-08-05 19:49:15 | 読んだ本
西部邁 1991年 日本文芸社
サブタイトルは「絶対平和主義批判」、1991年ころ起きた湾岸戦争に対して、日本人の反応があまりにひどかったってことに関する評論集。
おおかたの日本人が現実の戦争に直面しちゃったときの態度は、ひとことで言っちゃうと、思考停止に尽きる。
で、とにかく戦争はダメだ、平和がいい、って言うだけで、なにもできない。
そこんとこ突っついたもの。
>ポストモダニストたちが湾岸戦争を目前にして、自分らが心底では信じてもいない平和主義を、あるいは昨日まで実践もしていなかった平和主義をなぜ持ち上げたのか。それは、ルールから逃避したかったからである。そうすることによって「責任なき自由」を満喫しつづけたかったからである。(p46)
とかね。
>日本人が和平をのみ語ったのは、それを希望したというよりも、戦争について考えたり語ったりする能力がないからにすぎない。というのも、そういう能力をもつことを希望しない、それが半世紀にわたる日本人の習性となっているためである。(p180-181)
とか。
平和主義者のよく言う人命第一みたいな主張にも、生きることは目的ぢゃなくて、「よく生きること」のほうに価値があるでしょと指摘する。
>(略)世界最長の平均寿命を誇る日本において、しかも「生き甲斐の喪失」とやらが随所で頻繁に取沙汰されている日本において、生命尊重の平和主義を第一義の目的価値とするのでは、畸形の精神といわれても致し方ないのである。(p106)
とか厳しい。
>湾岸戦争は、国家エゴイズムのぶつかり合いではあったが、自由とは何であるか、公正とは何であるか、規則とは何であるかということをみせつけもした。戦争という激甚な状況は価値の本来の住処を明るみに出すのである。そういうことなのだということを日本人が正面から受け止めることができたならば、日本が国家として自立するのみならず、自前の国際関係をつくっていくという方向に進みえたであろう。(p99-100)
というように、カネなら出すけど武力の貢献はできないとか言ってる日本は、世界のなかではガキで、そのうち相手にされなくなるよ、ってのも大事なこと、真実のひとつだろう。
>日本では、個別的自衛戦争は認めるが、集団的自衛戦争は認めない、という国会答弁などがあり、その結果、個別的自衛つまり専守防衛だけが自衛隊の任務だということになってしまっている。
>専守防衛は極端な国家エゴイズムである。(略)自分の国のことだけが心配であるということを過剰にいいつのると(略)その国家エゴイズムが国際社会から反発や軽蔑を受け、結局のところ自国の立場が危なくなる。(p55)
とか、
>しかし国際平和協力法案をめぐって実際に生じたことは、平和憲法に徹する気もないのに平和憲法を口実にして「何もしない」という方途を選ぶという禁治産者流のやり方なのであった。(p116)
とかってのは、2015年の今読んでも思い当たるとこあって、興味深い。
どうして、まともな思考の積み重ねや議論ができないのかってことについては、
>「感情による支配」に大きく途を譲っている日本人にあっては「ルールによる支配」という観念があまりに弱い。ここ数年の日本における衆愚状況めいた騒ぎのほとんどは(略)ルール意識の欠如という日本人の精神的欠陥に由来している。(p156)
とか、
>「力は悪である」と建前としていってみせる、擬態として力に反発してみせる、そうした建前・擬態を正義として世間に流通させてみせる、それが日本人のやり方のようだ。(略)このポーズを習得しようとしないものを排除するためのシステムが(略)精緻に発達している。弱者の立場に身をおいてみせるポーズ、それが日本人の習性であり、第二の天性なのである。(p225)
とかって、日本人の脚質にあると見抜いている。
あと、
>戦後日本人は、戦争における死者たちを等閑視することによって、歴史そのものを足蹴にしようとしたのであった。(略)日本人はあの戦争にたいしてコモンセンスをもつ人間の腑にきちんと落ちるような敗戦処理をしなかったというほかないのである。(p20-21)
というように、第二次大戦で負けたとたんに、アメリカ万歳、旧帝国の指導者たちは悪だったんだっていうように、自分たちがどんな戦争をしたのか過去をみつめようとしない、歴史に対する態度も問題にしている。
第二次大戦の総括ができてないから、こんどよその地域に紛争が生じても、戦争はいけませんとしか言えず、何も解決できなくなっちゃったんだろうね。
コンテンツは以下のとおり。
「I」
戦争・国家・人間
「II」
平和主義への墓碑銘
憐むべし平和的大衆
デッド・ライン一月十五日
漂流しはじめた世界政治
湾岸戦争を楽しむ日本人
文明としての「ルールによる支配」
「仕分け」なき和平論議
犬は吠える されどキャラバンは往く
コメント
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