ウィルキー・コリンズ作/中島賢二訳 1996年 岩波文庫版(上・中・下巻)
ことしになって今さらながら『月長石』を読んだら、とってもおもしろかったんで、もうひとつくらいコリンズを読んでみようと思った。
長いものを読むのはいいやね、なんとも楽しい。特に19世紀のものはいい。
三冊そろいで買ったの四月になってからだったかな。
ゴールデンウィーク挟んで、おもに週末の移動の時間なんかで読んだ。
(若いときとちがって、平日の夜とかは早く寝てしまって、本を読めない。)
めずらしく、あまりに入り込んでしまって、新幹線終点なのに、まだ着いてないだろと1分くらい気づかず座り続けて、読むのやめなかったってこともあった。
タイトルは、ふりがなをみたら「びゃくえのおんな」だって、「はくい」ぢゃないんだ。まあ、そんなことはいい。
原題は「THE WOMAN IN WHITE」、1860年の出版らしい。
1850年ころのイギリスを舞台にした物語。
『月長石』もそうだったように、事件の状況を伝聞証拠に基づいて語らないという主義によって、一連の出来事は、それに関わった人物が自身の経験を自らの言葉で記す形式で、物語として語られている。
(そんなの、ふつうに三人称で小説書くより手間かかると思うんだけど、律儀だね。)
最初が、絵画教師で、主人公のひとりともいえる、ウォルター・ハートライト。
つぎが弁護士の、ヴィンセント・ギルモア。
そのつぎが、主要登場人物のひとりであり、ヒロインのローラの姉である、マリアン・ハルカムの日記。
そのつぎは、ローラとマリアンの叔父であるフレデリック・フェアリーが重い腰をあげて書いた手記。
そのつぎに、グライド卿の女中頭のイライザ・マイケルソンの話があって、その他のさまざまな者達の手記。
最後に、ウォルター・ハートライトがかえってきて、あいだにキャセリック夫人の嫌味な調子の手紙と、謎めいた人物フォスコ伯爵の手記も挟まれるが、ウォルターの話で終る。
その書きかたについて、ウォルター・ハートライトは、
>私の記録しているような物語にあっては、その関係者は、事件に係わりのある場合にのみ登場し、個人的な好みによってではなく、詳しく語られるべき状況の要請によって登場し、そして去るというのが必然的法則なのである(下巻p.289)
と言ってて、実際そんな調子である。
物語は、ウォルター・ハートライトが、夏の寂しい夜道で、背後から肩をつかまれて、「ロンドンへ行くには、この道でいいのでしょうか」と、上から下まで真っ白な服を着た若い女に尋ねられるところから始まる。
この奇妙な体験のあと、ウォルターはリマリッジ館で若い令嬢二人に水彩画を教える仕事を始めるんだが、再びそのちょっとヘンな白衣の女と会うことになる。
ストーリーは、読んでのおたのしみ、こういう長い物語は、その長いのを読んで初めて見えてくるところがおもしろいのだから。
それでもごく簡単に言うと、わるい准男爵が結婚したばっかりの令室の財産めあてに奸計を企てて、それに対して彼女を愛する人たちが奮闘する、ってなことになるんだろうけど。
それに加えて、くだんの白尽くめのなりした女が、どうして幽閉されるにいたったのかってのが、もうひとつの軸としてあって、まあ退屈してるひまはない。
それはそうと、登場するキャラクターは、その描かれ方、あるいは自身による語りで、おもしろい性格をくっきりとみせている。
なかでも、謎の多い人物フォスコ伯爵だが、こいつはサイコパスだなってのが私の感想。
(その体格の太っていることについて、歴史上の人物で代表的なサイコパスとされるヘンリー八世の名が出てきたので、たまたま気づいた。)
最初は道化役なのかと思いきや、これが悪事の中心にいる人物。
で、強靭な精神力、素早い決断力、先を見通す狡猾さ、その場での当意即妙なはったりと大言壮語、窮地におかれても的確な状況判断、そして自分の利益を守るためなら躊躇せず人を殺すこともできる、そんな性格と実行力。そして、表面的にはとても魅力があって、女性陣からあっさり好意をもたれるとこも。
もうひとり、おもしろいのは、ローラとマリアンの叔父で、ハートライトの雇い主でもあった、フレデリック・フェアリー氏。
このひとは、とにかく自分の神経に触ることやめてくれと、いつも機嫌の悪いひとなんだが、
>私見によれば、これは社会のあらゆる階層について言えることだが、独身者が妻帯者によって加えられる仕打ちほど、人間の本性の厭うべき利己主義をおぞましくも明らかにしてくれるものはない。(中巻p.289)
という卓見を披露してくれたりするとこが、私のお気に入り。
ことしになって今さらながら『月長石』を読んだら、とってもおもしろかったんで、もうひとつくらいコリンズを読んでみようと思った。
長いものを読むのはいいやね、なんとも楽しい。特に19世紀のものはいい。
三冊そろいで買ったの四月になってからだったかな。
ゴールデンウィーク挟んで、おもに週末の移動の時間なんかで読んだ。
(若いときとちがって、平日の夜とかは早く寝てしまって、本を読めない。)
めずらしく、あまりに入り込んでしまって、新幹線終点なのに、まだ着いてないだろと1分くらい気づかず座り続けて、読むのやめなかったってこともあった。
タイトルは、ふりがなをみたら「びゃくえのおんな」だって、「はくい」ぢゃないんだ。まあ、そんなことはいい。
原題は「THE WOMAN IN WHITE」、1860年の出版らしい。
1850年ころのイギリスを舞台にした物語。
『月長石』もそうだったように、事件の状況を伝聞証拠に基づいて語らないという主義によって、一連の出来事は、それに関わった人物が自身の経験を自らの言葉で記す形式で、物語として語られている。
(そんなの、ふつうに三人称で小説書くより手間かかると思うんだけど、律儀だね。)
最初が、絵画教師で、主人公のひとりともいえる、ウォルター・ハートライト。
つぎが弁護士の、ヴィンセント・ギルモア。
そのつぎが、主要登場人物のひとりであり、ヒロインのローラの姉である、マリアン・ハルカムの日記。
そのつぎは、ローラとマリアンの叔父であるフレデリック・フェアリーが重い腰をあげて書いた手記。
そのつぎに、グライド卿の女中頭のイライザ・マイケルソンの話があって、その他のさまざまな者達の手記。
最後に、ウォルター・ハートライトがかえってきて、あいだにキャセリック夫人の嫌味な調子の手紙と、謎めいた人物フォスコ伯爵の手記も挟まれるが、ウォルターの話で終る。
その書きかたについて、ウォルター・ハートライトは、
>私の記録しているような物語にあっては、その関係者は、事件に係わりのある場合にのみ登場し、個人的な好みによってではなく、詳しく語られるべき状況の要請によって登場し、そして去るというのが必然的法則なのである(下巻p.289)
と言ってて、実際そんな調子である。
物語は、ウォルター・ハートライトが、夏の寂しい夜道で、背後から肩をつかまれて、「ロンドンへ行くには、この道でいいのでしょうか」と、上から下まで真っ白な服を着た若い女に尋ねられるところから始まる。
この奇妙な体験のあと、ウォルターはリマリッジ館で若い令嬢二人に水彩画を教える仕事を始めるんだが、再びそのちょっとヘンな白衣の女と会うことになる。
ストーリーは、読んでのおたのしみ、こういう長い物語は、その長いのを読んで初めて見えてくるところがおもしろいのだから。
それでもごく簡単に言うと、わるい准男爵が結婚したばっかりの令室の財産めあてに奸計を企てて、それに対して彼女を愛する人たちが奮闘する、ってなことになるんだろうけど。
それに加えて、くだんの白尽くめのなりした女が、どうして幽閉されるにいたったのかってのが、もうひとつの軸としてあって、まあ退屈してるひまはない。
それはそうと、登場するキャラクターは、その描かれ方、あるいは自身による語りで、おもしろい性格をくっきりとみせている。
なかでも、謎の多い人物フォスコ伯爵だが、こいつはサイコパスだなってのが私の感想。
(その体格の太っていることについて、歴史上の人物で代表的なサイコパスとされるヘンリー八世の名が出てきたので、たまたま気づいた。)
最初は道化役なのかと思いきや、これが悪事の中心にいる人物。
で、強靭な精神力、素早い決断力、先を見通す狡猾さ、その場での当意即妙なはったりと大言壮語、窮地におかれても的確な状況判断、そして自分の利益を守るためなら躊躇せず人を殺すこともできる、そんな性格と実行力。そして、表面的にはとても魅力があって、女性陣からあっさり好意をもたれるとこも。
もうひとり、おもしろいのは、ローラとマリアンの叔父で、ハートライトの雇い主でもあった、フレデリック・フェアリー氏。
このひとは、とにかく自分の神経に触ることやめてくれと、いつも機嫌の悪いひとなんだが、
>私見によれば、これは社会のあらゆる階層について言えることだが、独身者が妻帯者によって加えられる仕打ちほど、人間の本性の厭うべき利己主義をおぞましくも明らかにしてくれるものはない。(中巻p.289)
という卓見を披露してくれたりするとこが、私のお気に入り。