百目鬼恭三郎 平成三年 文藝春秋
これは今年9月の古本まつりで見つけて買ったもの。
探してたわけぢゃないし、そもそもこういう本があるのも知らなかったんだけど、著者名みた瞬間に、こりゃ『風の書評』とおなじ系列だな、おもしろいにちがいないって思って手に取った。
帯に「急逝惜しまれる、峻烈並びない書評家“風の恭三郎”。」ってあるんだけど、著者は平成三(1991)年三月に亡くなっていて、本書は同年五月の発行なんで、そうなっているし、巻末には丸谷才一氏の「著者を惜しむ」って文章がある。
なかみはタイトルのとおり、文庫本を採りあげた書評、第一部の初出は1982年から1985年にかけて「週刊文春」に不定期連載されたもの、第二部は文庫本発行にあたって著者が書いた解説。
文学賞を受賞した作品をわざととりあげてけなしたりしてる『風の書評』とちがって、基本的におすすめをする文庫案内なので、わりとおとなしめな感じはするんだけど、もちろん一筋縄でいかないとこがあって、それがいい。
たとえば、
>(略)山の名著といわれる本の過半は、文庫本で読むことができるようだ。
>しかし、これらの名著も、読んでみると案外つまらない場合が多い。(略)
>(略)私たちにはつまらなくても、登山家にとって、感激をよびおこす源泉となるのであれば、名著は名著なのである。
>むろん、山の名著の中には、私たちが読んでも面白い本もある。浦松佐美太郎『たった一人の山』もその一冊であるようだ。(p.40-41)
みたいな紹介のしかた、自分がすすめる本の話題を始める前に、「いわゆる名著」はくだらねえよ、って言うのは、おもしろい芸だと思う。
個々の本のなにがいいとかいうまえに、だいたい日本の文学界はおかしいんだよ、ってスタンスでビシッと厳しく指摘してくれるとこがとても勉強になる。
>(略)という本格的な風俗小説仕立てが、このスパイ小説の特徴であるといっていいだろう。この特徴は、深刻ぶる以外に能のない日本の小説に慣れた読者には、味わいにくいかもしれないが、これが小説らしい小説というものなのだ。(p.89「ディミトリオスの棺」)
とか、
>前にもいった通り、日本の文学は、近代以降地方出身の青年によって書かれるようになったため、衣食住についての描写は貧困をきわめている。その中にあって、立原のような存在は貴重といわなければなるまい。目や口腹を楽しませることは、本来、文学の重要な機能のひとつである。(p.208「女の部屋」)
とか、
>これを読むと、星が文学でいちばん重要視している要素は、意外性と物語性の二つであることが、実によくわかる。そして、この二つの要素が日本の文学においてはもっとも稀薄であることは、いうまでもあるまい。星の作品が日本の文壇で評価されず、これまで賞らしい文学賞をもらっていないのは、このように文学の性質が異なっているせいであるにちがいない。(p.221「宇宙のあいさつ」)
とか、って調子で、日本の自然主義リアリズムはつまらない、深刻ぶって暗くてみじめな告白をすることだけが文学だと思ってんなら大間違いだ、ってことをあらためて教えてくれてる。
そんななかで、
>日本の現代小説を一冊だけとりあげるとなると、やはり福永武彦『忘却の河』であろうか。むろん、この選択には異議も多かろう。(略)
>しかし、私は自己の鑑識眼を信じる限り、『忘却の河』は『死の島』よりはるかにすぐれているし、現代日本の文学の中で最上の作品であると断定せざるを得ないのである。(p.157)
と挙げられている『忘却の河』はどんな小説なんだろうって、気になってしょうがなくなってしまった。
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