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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

二週連続で乗ったら、いい馬だと再認識する

2014-11-17 19:43:27 | 馬が好き
乗馬にいく。
きょうの馬は、サイバーシチー。
え?まさかの2週連続2回目、先週初めて乗ったばっかり。

前回乗った感じでは、とてもいい馬という感想をもった。私なんかが乗るにはもったいない感じっつーか。
さて、いい馬に乗ったときは、各個に、いろんなことやるべく、乗んなきゃいけないんだろうけど。
最近、難しいことやる気は全然ないので、すっとぼけて、ふつうに部班組に入る。
先頭を命ぜられちゃうけど、それはしかたない。
速歩スタート、もうちょっとリズムよく、って言われちゃう。
伸ばせば、なんぼでも伸びちゃうとこあるんで、遠慮してたんだけどね。
ほんと、前に出そうとしたときの反応は抜群。前に出ろっていう脚の使い方に、すごいイイ反応する。
ひととおりクルクル走り回ったあと、しばし、休憩。
休憩は、大事。根をつめて何が何でもグイグイやりゃあいいってもんでもない。
休憩をはさむと、できなかったこともできるようになったりするときがある。人もね、馬もね。

休憩後、再スタートすると、手綱が長いと言われる。
んー、たしかに。
再開後の練習は厳しくなる、みんなアブミあげをしろと言われる。
アブミあげしてると、「手(拳の位置)が上がってる」と指摘される。
んー、そうなんだよね、残念。
スッスと動かしてるつもりなんだけど、「(馬はリラックスしてるのに、)人間がカタイ」と言われる。
んー、そうなんだよね、残念。

きょうの部班は厳しいよ。三湾曲の蛇乗りなんて号令がでる。
一応知ってる図形なんで、なんとかやるんだけど、「一個目(の弧)大きい」と言われちゃう。
スイマセン、慣れない図形はなかなか一発でキメられません。何度か繰り返すうちに、どうにか整ってくる。
正反撞でも、遅くならないように、気をつける。動いていく馬に乗っていく、ヒザから下の力をぬく。
休憩前同様、駈歩も輪乗りを基本に、やる。
発進は軽くて申し分ないんだけど、ちょっと号令で出ているような気がしたんで、最後は、号令のあと抑えて、脚で改めて発進させる。
いずれにしても、スッと前に出たら、なるべくその場でホメる。
練習、終了。
「乗りやすかったですか?気持ちよさそうに見えました」と問われる。
たしかに、乗りやすかった。特に、前に動いてもらうぶんには、ものすごく反応いい、やる気に満ちあふれている。
(オカベさんの表現を借りれば、ヨコシマなところが無い、ってやつだ。)
なので、余計なジタバタをする必要がなくて、で姿勢とかに注意を配ることができた。
あー、楽しかった。

練習のあと、手入れして、リンゴやろうとしたら先週同様やっぱり食わないんで、ニンジンをやったら、うまいうまいと食った。
余ってしまったリンゴは、こーんな顔して、ちょうだいちょうだいしてくるお隣さんたちにやった。
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図説 地獄絵の世界

2014-11-13 21:11:05 | 読んだ本
小栗栖健治 2013年 河出書房新社
前回のつづき。
ということで、地獄絵が気になってしまい、一冊こんな本を買ってしまった。
博物館内のショップでも売ってたんだけど、荷物になるかと(手ぶらででかけてた、雨降りそうな日に余計なもの持ちたくない)思いとどまったんだが、夕方ウチ近くの書店に出かけ直して、買ってしまった。
私が気に入った「地獄草紙」は、奈良国立博物館のもので(先週までは東京国立博物館蔵のべつの「地獄草紙」が展示されてたらしい、このへん何も調べずに出かけると出会いは運次第である)、その絵がこの本のアタマのほうにもある。
でも、「屎糞所」・「凾量所」・「鉄磑所」・「鶏地獄」・「黒雲沙」・「膿血所」・「孤老地獄」とある地獄絵図のうち、この本には三つしか載ってなかった、ちょっと失敗。
もっとまじまじとあの一連の絵をながめたかったんだが、これでは役に立たん。
ちなみに、凾量所では、生前に桝目をごまかした者が地獄に落ちてきて、燃えたぎる鉄の湯を枡で量らされる。
鶏地獄では、鳥や獣をいじめた者が堕ちてきて、ここで焔をまとった巨大な鶏に蹴ったり踏まれたりする。
なんか、こういう因果応報のわかりやすさが、好きだったりする。
で、この本では、熊野歓心十界曼荼羅という絵が中心に解説されている。
日本の歴史で、社会に受け入れられた(相当数の作品がつくられた)のは、「往生要集」を視覚化させた「六道絵」と、「熊野歓心十界曼荼羅」の二者のみだからだそうである。
で、その熊野なんとかってのは、熊野比丘尼という各国を歩いてまわる宗教集団が、絵解きをして地獄のことを女子供に教える道具なんだそうだが。
あんまり、そのへんには興味ないが、聴衆が物語を聞きたがると、銭を取って解説するところから、「地獄の沙汰も銭」という言葉が生まれたっていうんだけど、ほんとかね。
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日本国宝展を観にいく

2014-11-11 19:03:20 | Weblog
先週にひきつづき、どっか山でも歩きに行きたいなと思ったら、どうも天気がよろしくない。
前の日に降っただけでも、道悪だろうからって、山には行かない私、山んなかで雨に降られたくない、それはきびしい。
どっか、雨の日でも楽しく歩けるところはないかなとか、ムシのいいことを考えてたら、おお、そうだ、博物館に行こう、と思い当たった。
だいたい地下鉄の広告レベルでしか情報を得てないが、なんか国宝の特別な展示をしているはずである。
ということで、上野へ。

さっそく、「日本国宝展」やってる平成館にまっすぐ向かう。
だって、平日なのに混んでるっぽい、ちょっとあせった。(ついたの12時ころ。)

私の予想よりは混んでたけど、まあなんにも見えない、人多すぎで気持ち悪い、とかいうほどではなかったので、たすかった。
それでもダラダラダラダラ歩くのはきらいである。
見たいとこへサッと駆け寄って、ジーッと見るほうがいい。
ガラスに顔くっつけるようにして、ジリジリ進んでんのは、他人の姿を見てるだけでもヤダ。
っつーわけで、全部をつぶさに見て回るなんて悠長なことはせず、興味のもてそうなのだけサーッと見てったら、本館の通常展示もあわせて、一時間半くらいでおなかいっぱい、もういいや状態になってしまった。
ちょっと歩き足りないので、動物園に行こうかと思ったけど、外に出たら小雨だったので、帰ることにした。
(雨の動物園というのも、なんかうらぶれた感じのするものだ。(上野は動物園としては豪勢な部類だから、うらぶれることないかもしれないけど?))
ちなみに、私はウォーキングの代わりに行ったんだし、もともと美術に関する素養はもちあわせていないので、特に絵画はまったく理解できないしで、まあ国宝の何がどうよかったとか言えることは、なにもない。
でも、マンガ好きだからか知らないけど、「地獄草紙」は見て面白かったと思った。
あと「日本書紀」とかね、存在は知ってるけど、実物のモノとしては、どういうものか知らないから。
そうそう、売店で(本)を売ってたけど、こういうのってウチ帰ったら見ないよな読まないよなと思って、迷ったけど買わずに帰った。

(↑これは、ただのチラシ。)
ちなみに10月15日から12月7日のロングランなんだけど、時期によって展示が違ってて、正倉院宝物特別出品は11月3日まで、「漢委奴国王」の金印は11月18日~30日だけの展示なんだそうだ。
もうちょっと早く来るか、来週行けばよかった。

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誰に訊いても知らないけど、いい馬に乗るのは楽しい

2014-11-10 19:56:21 | 馬が好き
乗馬にいく。
きょうの馬は、サイバーシチー。

↑こやつ。知らないなあ。
誰に聞いても、知らないという。逆に、その馬なに?見たことない、とか言われたりして。
帰ってきてから調べると、サイバーシチーは1998年生まれだから16歳、鹿毛のサラブレッド、父ダハール母ピレネーII 母の父ストラダビンスキーである。
(どういう基準でサラブレッドを乗馬に採用するのか、いまいち知らない。)

ここまで私とか、いっしょに練習してるメンバーが乗ってないってことは、めったに乗せてくれない高級乗馬な可能性がある、やばいな、それは。(←喜べよ!?)
上等な馬で、高度なことやらなきゃいけない役割ふられたのかもしれないけど、そんなことはやる気ないので、素知らぬ顔して部班に入る。

ウォーミングアップしたところでは、特にむずかしい印象はなく、いい感じ。
先頭を命ぜられて、知らない馬だから、内心おっかなびっくりだけど、引き受ける。
常歩はうながせばシャンシャン歩く感じだし、だいじょうぶでしょ。
速歩スタート。サクサク進む。
回転もスムーズ、隅角でも特に内に傾いたりしないし、まあいいでしょう。
歩度を詰めたり伸ばしたり。伸ばすときの、反応いい。まずは、あまり難しく考えず、スピードアップさせる。
繰り返すうちに、前下方にバランス崩すことだけはやめようと意識する。
馬の肩のうえにクビをのっけようとかナマイキ考えていじってたら、手をそんなに上げない!って言われちゃったけど。
でも、馬自身がそんなにバランス崩れるタイプではない。伸ばすときも、私が乗ってるのにしては、よく踏み込んでる部類といえるんぢゃないか。
後続のことはおかまいなし、伸ばす・詰めるは明確に、と自分のテーマに従い、あれこれ思いっきりやる。

んぢゃ、駈歩。かるいかるい、念じただけで出るよ。
速歩のときもそうだけど、駈歩でも歩度を伸ばそうとして、スッとでてくれたら、何歩かきもちよく進んだところで、とにかくホメる。
私の乗馬のテーマは、ホメる場面増やすこと、みたいなとこある。
駈歩で、輪乗りを詰めたり開いたり。
駈歩の輪乗りを詰めるのは、おおいにヒントになることあると、最近気づいた。
歩度を伸ばして、そのあとその前進気勢を保って、歩度を詰める。そして輪乗りを詰めていく(=輪を小さくしていく)。
輪乗りを詰めるときに、小さくしようとだけ考えると、スピード殺してしまって、駈歩が維持できなかったりする。
勢いはあるけど詰めた駈歩で、輪乗りを小さくしていく。そのとき、踏み込んでるけど、伸びてかない、上にあがってくようなイメージができる。
左右の手前で繰り返すけど、サイバーシチー優秀。ギクシャクしないで、いい駈歩ができた。
そのあと、駈歩と速歩の移行とか、いろいろ。
速歩では正反撞でも歩度を伸ばす場面があり、我が身かわいさにスローになってはいけないので、意識してガンガン伸ばす。
ヒザが上がってきちゃうのを感じて、硬く座ろうとしてはいけない、動いていかなくてはと意識する。
何度も、「そこで、できたら、馬をまるくしていきましょう」と言われる。
グジグジいじってると、「できたら、ラクにしてあげる、かえしてあげるとこ、つくってみましょう」と言われる。
馬の動きがいいわりには、あんまり上手にできたとは思えないまま、終了。
でも、乗り替わるひといないんで、部班の二鞍目でも先頭つとめる。
おんなじようなことやるなかで、ああ、もっと踏み込んで、もっと起こした感じにしたいとか、課題だけは見えてくる。
あまり変わり映えはしないけど、まあまあ動いてくれたんで、先頭としての役目だけはどうにかできたんぢゃないかと。
最後のほうは、伸ばすぶんにはいいけど、ちょっと抑えるときにバトルになりそうな雰囲気あったんで、そのへんもうちょっと上手に乗りたい。
いずれにしても、いい馬だあー。

手入れのときも、ハエが飛んでるのを気にするのはしょうがない以外は、おとなしかったし。

でも、リンゴは食わなかった。
リンゴ食わない馬は、かわいさ半減である。
リンゴを、いちど口に入れて、「なんだこれ食いもんぢゃないだろ」みたいに、ポトッて口から落としたりすると、なんか百年の恋も冷めるような感じがする。
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透明人間

2014-11-06 21:03:36 | 読んだ本
H.G.ウエルズ作/橋本槇矩訳 1992年 岩波文庫版
ついこないだ、古本屋でみつけて、読んでみた文庫。
原題「THE INVISIBLE MAN A Grotesque Romance」「透明人間―グロテスクな綺譚―」は、こどものとき講談社かなんかの児童版で読んだっきり。
どんな話だっけかと思って、手にとったんだけど、むかし読んだのと同じ印象、特にむずかしいところはなかった。
透明になることを自らの身体で実現しちゃった科学者が騒動を起こす、ちょっと悲劇的なとこのある話なんだが。
訳者による巻末の解説を読んだら、この小説は「人格の分裂、二重人格の問題を扱っている。」とあり、そういうテーマのヒントは『ジーキル博士とハイド氏』などからきてるらしい。
そうかあ。最近、ちょっと、スパイダーマンの映画のシリーズなんかをテレビで観たりしたんだけど、科学者がなにか異常ともいえる能力を獲得しちゃうと、人格そのものも変わってしまうっていうのは、このへん(「透明人間」は1897年発表)から脈々とつづいてる文学的伝統なんだな、って気がした。
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