かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

板橋並治先生

2006年10月10日 | Topics
日経の私の履歴書を読んでいたら、板橋並治先生の名が出てきた。
国際通貨研究所理事長の行天氏が、1954年に日米会話学院に通っていた時、薫陶を受けたとのこと(そこで、奥様と巡り合ったから、この話が出てくるのだが)。

日本国憲法を勉強させられたそうだが、実は、私も、その約30年後、日米会話学院に通い、週に一時間、憲法のコマの担当?が校長の板橋先生だった。既に生きた化石みたいな存在だった。日本の戦後の英語教育において、神様のような人だ。
3ヶ月の短い期間だったが、週一回だけの授業だったので、憲法も、やっと、今話題の9条ぐらいまで、たどりついた頃、時間切れとなった。毎度この調子らしい。
毎回、授業の最初に、Educationとは何ぞやという文を暗記させたものを生徒に朗読させるのだが、クラスの出来が悪くて、ここで、時間を浪費したのも憲法の授業が進まなかった一因。ちなみに、このEducation の話も、教育の本質をついていた。本当に教育は、大切!

パーティに出た時の、立ち居振り舞というような授業があって、板橋先生が、相手の目を見ながら、思いっきり強く握手しなさいと教えてくれた。外国人と会った時は、今もその教えを守っている。

インターネットで調べたら、1997年4月14日に90歳で、亡くなられたようだ。そうすると、私が、習っていたころは、先生は、70歳台後半、行天氏が習っていた頃は、40歳台後半だったことになる。
日本の英語教育に多大な貢献をした偉大な方である。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20周年記念ガラコンサート | トップ | インドビジネス »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。