かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

シンガポールその6 ボートキー

2009年03月26日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



マーライオンパークから、ダウンタウンに向かう。これは、アンダーソンブリッジ。



フラートンホテル(元中央郵便局)の前の川に、子供たちが飛び込んでいる。



ボートキーは、かつての荷揚げ倉庫の並んでいた地区だ。今は、楽しいレストラン街になっている。駐在時代は、ここによくランチを食べにきた。
シンガポールの海運の中心だった場所である。

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シンガポールその5 雷に打たれたマーライオン

2009年03月25日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



いよいよシンガポール名物のマーライオンに久し振りに来た。ここの公園は、私が、駐在時代に整備され、ダウンタウン側と海側が同時に眺められる、すばらしい観光地になった。この写真は、ちょっとずれてしまったが、左が、マリナサウス地区で、埋め立て地に並ぶホテル群がある。そして、世界最大の観覧車。その右側が、現在建築中のサンズグループによるカジノリゾート。その右が新フィナンシャルセンター。その右が現在のダウンタウン。その右で、青い覆いで囲われているのがマーライオンである。



シンガポールの町には、綺麗な花々が咲き乱れている。ガーデンシティと言われる所以だ。もちろん、これは、合成写真ではない。



2月末の雷雨で、マーライオンは、雷に打たれた。この写真は、その一週間後だが、青いシートで覆われ、雷で打たれた部分は、確認できなかった。報道によると、後ろのたてがみを打たれたという。



マーライオンが病欠中のため、その後ろの、普段は日蔭者のミニマーライオンが人気を集めていた。



マーライオンの後ろの橋のその後ろに、小さな公園があるが、これが、私が赴任した時のマーライオンのいたところだ。元は、河口で海に面していたが、埋め立てが進んで、どんどん内陸になってしまったため、橋の上をまたいで、今の場所に引っ越しをしたのだ。この公園にいた時には、口から水を吐き出すためのポンプも壊れていた。



ということで、変化することを止めないシンガポールの玄関口。このカジノリゾートは、無事開業するのだろうか。この手前の海は、淡水化され、シンガポール住民の貴重な飲料水のための貯水池になる予定だ。

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シンガポールその4 エリザベスウォーク

2009年03月24日 | Singapore・Malaysia・Indonesia

baseball WBCは、おおいに盛り上がった。前回は、ブログを書いている時に優勝が決まり、メールが行きかうすごい状況になった。今回は、幸か不幸か、平日で、生では見れなかったが、インターネットの世界では、やはりすごい状況になったのではなかろうか。



日本の占領時代の負の記念塔の近くに、エリザベスウォークと呼ばれる公園がある。モニュメントが多くあるが、やはり戦争に関するモニュメントが多い。この美しい噴水もモニュメントの一つだ。



クリケット場の向こうには、最高裁判所や、庁舎が見える。日本軍が占領した時、この前を行進したし、昨年のF1もこの前を疾走した。イギリス統治時代の中心だ。



この碑は、第一次世界大戦の戦没者を慰霊するためのようだ。



日本占領時代のインド人兵士を慰霊する碑もあったようだが、今は、この碑があったと説明するモニュメントがあるのみ。



公園の西端まで、来ると、シンガポール川を渡る美しくかつ歴史のあるアンダーソン橋と、ダウンタウンが臨める。
シンガポールの数ある美しいシーンの中でも、大好きなショットだ。
昨年のF1では、このアンダーソン橋も、ルートとなった。

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シンガポールその3 日本占領時期厄難人民紀念塔

2009年03月23日 | Singapore・Malaysia・Indonesia



話をシンガポールに戻そう。
ラッフスルズホテルから、すぐの海側のところに立つ。この塔には、今でも、2/8には、日本人は近寄らないように言われていた。
真珠湾攻撃から、わずか二カ月後に、日本軍は、シンガポールに侵攻し、昭南島にしてしまったのだ。その侵攻した日が、2/8。一週間後には、イギリス軍は、撤退してしまった。リークァンユーは、この時のことを、こんなにも支配者が簡単に変わることに驚いたと記している。



中国語の碑名をそのまま読めば、日本占領時期厄難人民紀念塔とある。文字通り、この党は、日本の占領時期、耐え忍び、その労苦を忘れないために建てられたものだ。
シンガポールは、もともと移民の国だから、その統一にあたっては、何かのスローガンが必要だった。それが、抗日・抗共だったのだ。抗日については、中国も同じだが。
シンガポールでの日本軍の評判は、かなり悪く、リークァンユーも命の危険にさらされたと同じく自伝に書いている。



近くは、イギリス人の公共施設が多くあったところ。これは、クリケットクラブの建物。



私が、駐在時代にできたエスプラネードもすぐそこ。ホールが二つセットになっているが、異様な姿だ。

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ならでぶら 南都26619歩

2009年03月22日 | Nara ( Japan )
”ならでぶら”も、最終日。今日は、東奈良をふらぶらした。天気が心配されたが、になったのは3時ごろで、ノンプロブレム。古都での1日を、満喫できた。
予想外の好天で、歩数は、南都26619歩と、前の二日間と変わらないレベルに達したが。
今、新幹線の中だが、見事満員。ラッシュアワーみたいに、次から次へと発車していた。みんな土産物をたくさんかかえている。これだけ見ると不景気とは思えないのだが。
ということで、明日から、1299年未来の、今の生活に、バックトゥーザフューチャーだ。


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