16期生の大石です。
0.今週のブログマイルール(前回のを見て文字が込み入って読む気が失せたので④を追加)
①骨格が決まるまで書き始めない。
②最初にテーマか結論を言う。
③最低2回は読んでから発信する。
④数行おきに空き行を入れる
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1.今回のテーマ
今回のテーマは、「自分が最もいきいきした体験」の理由を分析すると、自分にとって大切なことがわかり、今後の人生を自分らしく満喫できるのではないかということを試みることです。言い換えれば勲章のような最高の自慢話の自慢の理由を分析して自分らしく生きる方法に気付く試みをするということです。とても個人的な内容に使ってしまいごめんなさい。
「自分が最もいきいきした体験」を列挙してみたら六つ挙げられました。そのうちの二つは高い山に登ったことで、三つは一人で海外旅行をしたことで、一つは自作の紙飛行機がよく滑空したことでした。海外旅行と紙飛行機の経験は誰も褒めてくれませんが、これらも自分にとっては人生の勲章にしたい体験です。
三つの「一人で海外旅行」が自慢である理由は共通していそうなので、その中の一つを例にとって、自慢の理由を分析してみることにしました。
2.「一人で海外旅行」の分析
三つの「一人で海外旅行」は、いずれも香港に単身駐在していた時の旅行です。当時は30過ぎでした。それまでに海外出張は何度も経験していましたが、プライベートでの海外旅行は新婚旅行も含めて3回だけで、いずれもツアーでした。一人で海外旅行をしてみたいという希望は大学生の時から持っていましたが勇気がありませんでした。しかしこの頃はなぜか行くしかないと思えたのです。行先はインドネシアと中国とインドです。「地球の歩き方」(以降「歩き方」と表記)を参考書に、言葉も知らない国を一人で旅をしたのです。
今回はインドネシア旅行を例にして自慢ポイントを分析しました。
①目的は仏教遺跡を見に行くこと
大学生の時に仏像や古建築を見に行くのが大好きで、全国の仏像や寺院を観て回りました。いつか海外の仏教遺跡も見て回りたいと思っていました。インドネシアにはボロブドゥールという巨大な仏教遺跡があり、それを観に行くことが目的でした。
②とても冒険
インドネシア語は全く知りませんでした。香港ージャカルタの往復航空券とジャカルタ到着の日と出発前日のホテルだけ予約しておきましたが、あとは現地調達と決めて出発しました。ボロブドゥールはジャワ島の中央部にあり、古都ジョグジャカルタからバスで行けるということと、ジャカルタからジョグジャカルタまでは、飛行機か列車か夜行バスで行けることは「歩き方」に書かれていました。とりあえず往きは夜行バスにしようと決めていました。
③とても親切な人に救われる
当時のインドネシアでは、タクシーは危険だから使うなと「歩き方」に書かれていました。そこでホテルリムジンで夜行バスターミナルに行きました。その道すがら、運転手が夜行バスに乗ったことはあるのかと聞いてきました。ないと答えあたら、それでは切符売り場まで自分が連れて行ってやるから、その窓口で自分で買えと言いました。ターミナルに着いてみると年末のアメ横のような賑わいで、ジョグジャカルタ行きの窓口もたくさんありました。半信半疑で運転手についていき、窓口で切符を無事に買うことができほっとしました。
数年後にインドネシア駐在者にこの話をしたら、夜行バスにはいろんな業者がおり、客が少なくなると強盗になる事件が珍しくないので、駐在者は決して使わないと教えてくれました。あの運転手に会っていなければ今頃私の命はなかったかもしれません。
強盗には会いませんでしたが怖い経験はしました。夜中の2時に目が覚めると、バスは40㎝くらい水没した道を走っていました。これは自然災害に遭遇したのかと思い、生きて帰れないかもしれないと真剣に思いました。よくみると真夜中だというのに水につかった道にはたくさん人がいて、笑顔で会話しているのが見えました。深夜にたくさんの人が道に出ているのもふしぎですが、どうも日常のできごとのようなのです。古いバスだったら立ち往生していただろうと思います。
④思いがけない出会い
ボロブドゥールの門前の民宿に宿泊しました。一泊600ルピア(日本円で60円)です。昼過ぎでとても空腹だったので焼き飯を食べたいと言ったら、7歳くらいの女の子が七輪と鉄鍋を持ってきて土間で作ってくれました。白いご飯に塩を振りかけて炒めただけの、文字通りの「焼き飯」でした。
のどが渇いたので飲むジェスチャーをしたら室温のビン入りスプライトと氷のはいったコップをもってきてくれました。「歩き方」には食当たりを起こすので氷は絶対食べてはいけないと書いてあったので、そのまま飲もうと栓を抜いたら一気に噴き出しビンには四分の一くらいしか残っていませんでした。女の子は笑っていました。一体どうすればよかったんだろう?こんな出会いがいたるところでありました。
⑤「歩き方」を参考に現実的な知恵を使う
ジョグジャカルタにはまだ輪タクがありました。ベチヤと言います。「歩き方」によると、1時間でxxルピアという価格交渉も可能だと書いてありました。しかしそれがどういうインドネシア語なのかは書いてありませんでした。しょうがないので昼寝している運転手を起こし、左腕を出して腕時計の上で右手の人差し指を一回りさせ、覚えたばかりのインドネシア語で「40ルピア」と言うと、「乗れ」という仕草をしました。
3か所回ってホテルに戻り、40ルピアを払おうとしたら、運転手は「50ルピア」と言うのです。そして左腕をだし、右手の人差し指で一回りと90°回転させたのです。つまり1時間15分乗ったと言っているわけです。快く50ルピア支払いました。次の日の朝その運転手はホテルの前で私を待っていました。
⑥たくさん失敗するけど致命的ではない
最初は相場間隔がないので、本来100ルピアでいいものを1000ルピア払いました。800ルピア支払う時に小銭がなく、1000ルピア払っておつりをくれと言ったら、「小銭がない」と言われて結局1000ルピア払ったこともありました。ついうっかり氷入りのジュースを飲んでしまったこともありました。幸い食当たりにはなりませんでした。
⑦用心するところでは用心
観光地では、「案内してやる」と言って英語で話しかけてくる人がたくさんいます。こういう人たちの前では絶対に財布を出しません。やばいと思ったときは「POLICE!」と大声で叫んだこともありました。
3.これからの人生への教訓
こうまとめながら思いました。診断士として稼いでいくこと自体が私にとっては「一人で世界旅行」ではないかと。誰も褒めてくれません。冒険以外の何物でもありません。救われたり、失敗したり、いろんな出会いを楽しみます。診断士になったことは、どうも偶然ではなく必然だったようです。今は右往左往していますが、後で思えば人生の勲章となっているに違いありません。でも目的は何だろう?仏教遺跡を広めたいわけではないし、合宿までに考えます。
二つの山登りと一つの紙飛行機の体験についても分析してみようと思います。
一人旅のエピソードはインドネシアだけでも一晩中話せるくらいあるので、ブログのネタが切れたらまた書こうと思います。