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中小企業診断士の資格取得から17年を振り返る

2018-04-03 12:00:00 | 塾長からのメッセージ

こんにちは。塾長の鴨志田栄子です。

私は、中小企業診断士試験は、旧制度の最終年(2000年)に合格。2001年登録です。
今月、18年目を迎えましたので、17年前を振り返り、思うままに、綴ってみます。

 

○宮本初代塾長との再会

2001年3月、診断士登録の1か月前、一緒に暮らしていた義母の末期癌の宣告を受け、私は、嫁として勤務先の会社と病院と自宅の往復の日々でした。診断士に登録し、今でいう新人歓迎イベント「スプリングフォーラム」開催の土曜日、義母の看病を夫に変わり、半日だけ参加しました。
そこで、再会したのが、稼プロ!の初代塾長であり、マンパワーで受験勉強をしていたときの恩師の宮本邦夫先生でした。
「今度、稼げる!プロコン育成塾を立ち上げるので、よかったら来ませんか?」とお誘いを受けました。チラシを受け取って、その場を離れたのですが、追いかけてきてくださったのが、この稼プロ!の創設に一番尽力をされた故長谷川和正先生でした。私に1冊の著書『管理者のための問題解決がいちばんよさしくわかる本』をプレゼントしてくださったのです。

 

○稼プロ! 1期生初日は欠席、懇親会のみ参加、でも、この時のご縁で専門を一つ確立できました!

その後、稼プロ!に入塾を決め、フレッシュ診断士研究会に入会を決めたものの、5月までは、義母の看病で、研究会活動に参加することはままなりませんでした(義母は5月に他界)。6月の稼プロ!の第1回目の講義日は、ちょうど、義母の四十九日の法要とバッティング。私は、講義は欠席し、夜の懇親会だけ参加しました。京橋にある居酒屋「北海道」でした。
部屋の扉を開けると、「えっ、誰が1期生で、誰が先生なの?」という状況。遅れて参加した私は、名刺交換の都度、「先生ですか? 1期生ですか?」と尋ねていた記憶があります。
この時に、初めて出会ったM先生に言われた言葉「鴨志田さんは、消費生活アドバイザーだから、多変量解析はできるよね!」でした。「えっ」と思ったのですが「ノー」と言うタイミングを逃してしまい、後日、休暇をとってセミナーを受け、多変量解析の勉強を開始。その後は、手弁当でM先生の調査結果の解析をさせてくださいとお願いしたり……。そうしたら、なんと独立直後に、実務補習で指導をいただいた先生から月刊『企業診断』で、データマイニングの連載記事を書かれていた故上田太一郎先生との出会いとご縁をいただくことになり、上田先生の元でサブ講師をしたり学び直したり……その後、「調査技法」や「解析」も私の仕事の柱の一つとなりました。

 

○名前が覚えられない⇒「毎月配れる名刺をつくろう!」

やっと、新米診断士としての活動に参加できるようになったのは、7月以降のことです。
圧倒的に男性が多い協会会員、名刺をいただいても、なかなか、顔が覚えられません。そこで、私は、毎月自分の名刺のデザインを変えることで、「この方と以前に名刺交換したような気がするけど、名前が思い出せない」というときも、月が替わると、名刺のデザインが変わったので、よかったら、受け取ってくださいといって、同じ方と、何度も、名刺交換できるようにしていました。
でも、デザインを変えるといっても、ワンポイントの花の写真とラインの色を変えるだけです。毎月、その月に庭に咲いている花の写真を使い、デザインのラインの色を花の色と合わせるだけでした。この名刺は、一部の方々には、私から出さなくても、今月の名刺は?と言われるようになり、ある意味では、効果があったようです。

 

○独立宣言とはじめての診断士としての仕事

秋には、翌年3月で21年勤務した会社を退職して独立することを決断。周囲にそれを公言することで、退路をたちました。そうしたら、受験時代に、当時、流行っていたネットの掲示板で知り合った地方(長崎県)在住の診断士の方から、「SOHOマニュアル」作成のお仕事をいただいたのです。独立後の自分の活動に参考になるだろうと……。
後述しますが、独立直後に、長崎に挨拶に伺ったときに言われたことで今でも心に残っていることがあります。「仕事で宴席に呼ばれたときは、必ず、封筒に会費を入れてポケットに入れておく」ということです。招待されることが多くても、仕事と宴席は切り離し、相手が受け取ってくれるかどうかはその時により異なるけど、タダでご馳走になることは当り前でないし、お支払いする姿勢を持つことが大事と……。私が手本とする診断士の方々のお一人です。

 

○退職と有限会社設立

診断士の資格を取得して、1年。3月末日をもって勤めていた会社を退職して独立。
有限会社を設立するために、翌日から、①商号調査に法務局に行き、②定款を自分で作成、③資本金を預けに銀行へ、④定款ほか必要書類をもって公証人役場へ、⑤法務局で登記、このステップだったと思います。もう、16年前のことです。診断士の同期の仲間と、定款のフォーマットを共有しあったり、社印は、どこに発注すると安いなど、いろいろな情報交換をしたものです。ちなみに、私の会社の創設記念日は、4月5日です。法務局で登記手続きをした日です。
ちなみに法人設立ということは、失業給付の受け取りができなくなるということを付け加えておきます。

 

○HP作成、挨拶状の作成、会社のロゴ作成

そして、会社も設立でき、いよいよ挨拶状。葉書大の白い厚めの用紙を購入して、表面は、退職・独立のあいさつ文、裏面は私の経歴書を印刷して、封筒に入れてお世話になった方々に郵送しました。
さらに、ホームページビルダーを購入して、試行錯誤しながら、会社のHPの構築。実は、私の会社のロゴマークは、ホームページビルダーの部品を組み合わせて、角度や大きさを変えて配置したものです。16年間使い続けているロゴ、講演のスライドにも活用したりしています。

 

○独立後、初めての自分への投資は、リッツカールトンホテルのセミナー、そしてお世話になった方への挨拶

独立して、初めての自分への投資が、当時、大阪にしかなかったリッツカールトンホテルのセミナーの受講。現地集合・現地解散。大阪までの往復の交通費は別にして、セミナー料金は75000円(1泊宿泊つき)。この動機は、セミナーのコーディネートをされている方が、CS(顧客満足)の専門家でいらした故佐藤知恭氏、当時、白鴎大学の教授でした。この方にご挨拶(実は、再会)がしたくて、セミナーに参加しました。この時のご縁で、問題解決手法TTWと出会ったのです。さらに、佐藤塾にも迎えていただき、CSの専門性を高めていくことができました。佐藤先生の思い出は沢山ありますが、大切な方に出す郵便物は、必ず記念切手を貼ることでした。切手を見れば、その人の誠意が伝わるとおっしゃっていました。以来、私は、常に、記念切手を常備するようになっています。
この時、横浜に住んでいた私は、大阪まで行くなら、ついでに、上述した「SOHOマニュアル」の仕事をくださった方にご挨拶をしたいと思い、とらやの羊羹を土産に、長崎に飛び、陸路長崎から博多を経由して大阪入りをしました。みんなから、長崎は、大阪のついでに行く距離ではないと言われましたが、タイミングを逃すと、なかなか長崎に行くことができないというのが私の考え方です。

 

○それから17年……

それからは、順調に、独立診断士としての道を歩み続けてきました。気がつくと、今年は、還暦を迎えます。
2011年に、2代目塾長を継ぐ覚悟をしたのは、独立して、60歳定年を前提とするなら、折り返しポイントを過ぎていることに気づいたからです。そのとき、これからは、これまで、私自身が教わった多くのことを後輩に残していく期間という考えを持ちました。それまでも、「○○長」など、何か大事な「役」を受けるときは、これまでお世話になったお返しという気持ちで受けていました。それが、今まで、塾長を継続してきているベースになっています。

自分がこれまでに蓄積してきたもので、今後も有用なものは、今でも、後輩に引き継ぎたいという気持ちがあります。それはそれで、清々しいもの。今年は、父の逝去もあり、残された母との時間も限られていることでしょう。1年後には夫も定年退職を迎えます。何にプライオリティを置くのか、キャリアビジョンの描き直しが迫られているように感じています。

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