「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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安佐市民病院移転予算案を否決…広島市議会委

2014-02-25 23:00:01 | 医療
 ふと、目にした記事。

 第二のふるさと、広島。

 広島大学医学部出身者としては、よく耳にしていた病院名。

 今後の動向が気になるところです。


********読売新聞*******************
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=93542
安佐市民病院移転予算案を否決…広島市議会委



 老朽化した広島市の安佐市民病院(安佐北区可部南)を巡り、市が移転・新築に向けて市議会に提出した2013年度の関連予算案が24日、厚生委員会で否決された。

 市は移転により「区全体の活性化につながる」と説明するが、地元住民の賛否が二分する中、「まず移転ありきの判断だ」などと反対も根強い。最終的な結論は25日の本会議で採決されるが、再び否決されれば市は候補地の再考を迫られそうだ。

 「移転して本当に活性化するのか」「病院は集客施設ではない」――。

 24日に開かれた厚生委員会(9人)では、市議から厳しい質問が相次いだ。

 市側は移転により、地域で新たな道路整備などが進むことを説明したが、議論は平行線をたどった。約2時間後の採決で、13年度病院事業会計補正予算案に賛成したのは2人。最大会派の自民党・保守クラブの3人を含む6人が反対した。市病院事業局幹部は「人口が減少する中、(移転が)町を変えるチャンスだと考えていたが、思いが伝わらなかった」と唇をかんだ。



 現在の病院は1980年に開業。北館と南館で527床を抱え、年間約4万5000人の外来患者が訪れる。市は現在地の北西3キロで、延伸を予定するJR可部線の終着駅に近い県営住宅跡地の荒下地区への移転・新築に向けて、補正予算案に基本計画作成費2000万円を計上。定例市議会に提案した。

 市の試算では、現在地での建て替え案、移転・新築案の双方とも、新病院の延べ床面積を1・6倍に拡大するなど機能を充実させ、総事業費もほぼ同額を見込む。だが、現在地の建て替えは南側用地の取得が前提となり、周辺での交通渋滞や工事中の診療への影響が懸念される。荒下地区への移転案でも、区画整理の見通しや跡地の活用策など課題を指摘する声がある。

 市は昨年1月から地元説明会を2度開催。住民間でも意見は割れたままだが、今年2月、松井一実市長は病院跡地で、にぎわいを創出する施設の整備などを前提に移転を決断した。



 25日の本会議では、議長を除く全議員51人による採決を実施。11年の市長選で松井市長を支援した自民党・保守クラブ(議長を含む21人)内でも賛否があり、同日の本会議前に対応を決めるという。

 厚生委員会での否決を受け、24日夜、記者会見を開いた松井市長は「非常に不本意。3年近くかけて移転がまちづくりに効果があるという結論に至ったが、その過程が十分浸透しておらず残念だ」と述べた。本会議で否決された場合の対応については言及を避け、「残された時間で努力したい」と引き続き協力を求める考えを示した。(升田祥太朗)

(2014年2月25日 読売新聞)
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七十七銀女川支店訴訟 請求棄却 仙台地裁H26.2.25

2014-02-25 23:00:00 | 防災・減災
 東日本大震災に関連して、注目すべき判決のひとつだと思います。


 七十七銀行女川支店屋上(約13メートル)避難指示は、企業防災のうえで、本当に適切だったのであろうか。

 今回が、初めてではない大津波の地で。
 


****読売新聞****
http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20140226-OYT8T00267.htm

企業防災向上を「諦めず発信」…七十七銀訴訟請求棄却

. 息子犠牲の田村さん夫妻

 なぜ、歩いて3分の高台でなく、屋上へ逃げたのか――。

 25日、遺族の疑問に仙台地裁が出したのは「高台への避難指示の義務はなかった」との判決だった。東日本大震災で、七十七銀行女川支店の避難の是非が問われた訴訟。最愛の息子の遺影を手に傍聴した原告夫婦は、判決言い渡し後、しばらく動かず、力が抜けたようだった。

 宮城県大崎市の会社員田村孝行さん(53)、主婦弘美さん(51)夫妻はこの日、津波の犠牲になった長男健太さん(当時25歳)の健太さんの墓前に手を合わせた後、仙台地裁に向かった。弘美さんは、健太さんの遺影を持って同地裁に入った。

 楽天イーグルス初のシーズン優勝が現実味を帯び、活気づく昨秋の仙台市中心部。仕事を終えて駅に向かおうとした孝行さんは、球場を目指す人混みに出くわした。応援グッズを手に、ユニホーム姿の人もいる。皆、幸せそうだった。思わず野球が好きだった健太さんの笑顔を重ねた。

 「きっと試合を見に来たかっただろうに……」。孝行さんは、人波に逆らうように家路を急いだ。

 孝行さんの影響で、健太さんも小学生から野球一筋。捕手として、古川高時代は夏の県大会での8強入りに貢献した。

 東京の大学卒業後、健太さんが七十七銀への就職を決めたのは、「都市対抗野球の常連だから」という理由もあった。野球部には入らなかったが、健太さんにとって七十七銀の行員であることは誇りだった。

 震災後、夫婦の間で野球に関する会話はめっきり減り、弘美さんは家に閉じこもりがちに。「気分転換に」との孝行さんの勧めで、弘美さんは楽天の試合観戦に出かけた。だが、バックネット裏から見える嶋基宏捕手の姿が生前の我が子に重なり、試合の途中で球場を後にした。

 震災直後、氏家照彦頭取は「人災だった」と発言したが、銀行側は「安全配慮に不備はなかった」と、責任を避けるようになり、2012年6月には支店を解体した。「事故がなかったことにされてしまう」。夫妻は危機感を抱き、同年9月、訴訟の原告に名を連ねた。毎週末、更地となった支店跡地に通い、訪れた人たちに息子の被災について説明を続けている。

 判決後、涙を浮かべ、時折言葉を詰まらせながら会見した孝行さん。今後も企業の防災意識を高めるため、事故を全国に発信していくつもりだ。

 「大切な命を守れなかった償いだと思って活動していく。息子なら『最後まで諦めるな』と言ってくれるはず。彼も諦めない男だったから」。孝行さんは振り絞るように語った。(仲條賢太)

情報収集と誘導、判決分ける

 津波による死に施設管理者の責任はあるのか。この問いに、仙台地裁は昨年9月と今回で異なる二つの判断をした。結果を分けたのは、地震後の「情報収集」と「避難誘導」の有無だ

 昨年9月の日和幼稚園訴訟の判決で斉木教朗裁判長は「ラジオや防災無線で情報を積極的に収集しようとせず、バスを発車させた」と園側の怠慢を批判した。一方、今回の判決では「大津波警報を認識し、行員らに告げた。屋上避難後も海の見張りとラジオでの情報収集を指示した」と支店長の行動を評価し、屋上への避難誘導も「合理性があった」とした

 今回の判決に「予想されていた津波の最大高さと比較して」とあるように、当時は支店屋上(約13メートル)を越える津波は「想定外」だったかもしれない。だが震災後、かつての「想定外」は意味を持たなくなった。企業は今後、少なくとも東日本大震災レベルの災害から従業員の生命を守る備えを尽くさなければならない。

 そうすることが、周囲から不当な非難を受けながらも訴訟を提起し、控訴審に臨もうとしている原告らの「企業防災の向上につながってほしい」との願いに応えることにもなるのではないか。(中川慎之介)

(2014年2月26日 読売新聞)
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