「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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『湿原』加賀乙彦 著 1983~85年朝日新聞連載

2014-09-06 08:41:49 | 書評
 雪森厚夫の一審死刑の判決が、控訴審で無罪となった。もともと、冤罪であったのであるが、そうだからといって、一審判決を覆すのは、並大抵のことではできない。特に自白の証拠があり、目撃証言があり、一方で、アリバイがない状況で判決が下り、かつ刑事訴訟法上、控訴審で主張できる内容も限られてくるという制限の中での作業である。
 一審の判決が下され死刑囚となった雪森は語っている。「軍隊と監獄、つまり国家が国民を完全管理する施設で、おれの一生は、規格どおりの形に細工される木片のように、削られ続けてきた。その果てに国家は、おれを不用品として廃棄処分にするのだ。」


 ちなみに、自白がなされた状況は、取り調べの可視化が言われる昨今ならば到底考えらえない拷問に近い追求に、疲れ果てながらも頑に抵抗していたが、三週間に及ぶ取り調べを続けた肥野警部補の「・・俺はもう疲れた。本当に参った・・・、本件を最後に来年は、将校になれない下士官と同じ警部補のまま定年だ・・・」軍隊時代の雪森と同じ「下士官同士のよしみで、お前に人間らしい暖かい心があるなら、最後の俺にはなむけを・・・」と、風蓮湖畔での爆破実験を認めろと迫られ、警部補以上に疲れきっている雪森は夢見心地で認めるところから始まった。これを機にづるづる意に沿わぬまま、つくられた供述調書を認めてしまうのであった。
 およそ過激派、新幹線爆破事件とは縁もなくかけ離れた存在の雪森が、ほんの少しの真実ー前科、銃の所持、爆破実験という一点を、線につなぎ合わされ犯人に仕立て上げられた。
 

 死刑の判決を控訴審で無罪に覆すという難しい作業を見事成し遂げられたのは、一審から代わって弁護人となった若手の弁護士阿久津純と、共感して集まった支援者、正しく真実を報道したジャーナリストらの力の結集のおかげであった。
 国民審査制度がどれだけ機能するかは、別にしても、弁護士だけでなく、社会の関心もまた、裁判官の心を動かす要因のひとつと思われる。

 

 とは言え、阿久津の登場が、物語を大きく前進させたことに違いはない。阿久津がいなければ、和香子と厚夫の風蓮川の袂で愛を育む日(「・・・此の土地で二人で生きよう。もろともに、風蓮仙人となって暮らそう・・・」)がくることは、永遠になかった。
 果たして、阿久津のような弁護士はいるといえるか。築地市場移転問題裁判の弁護士達との出会いによって、その割合はわからないが、私は、はっきりとイエスと答える。更に言うなら、同裁判に取り組む私たちにも、共感して集まる支援者と、正しく報道下さるジャーナリストが集っている。


 殺人事件における同様な冤罪事件に取り組まれておられる、私に刑法演習をご教授下さった先生は、飲み会の席で話してくださったことが印象に残る。なぜ、割にあわない労力をかけてでも冤罪事件にのめり込んで、弁護できるのか。容疑者たるひとにあったとき、「この人はやっていない。」と直感でわかるというのである。やっていないにもかかわらず、罪を着せられていることに不条理を感じ、真実発見をし、無実の人を救うために、誠心誠意打ち込み無罪を勝ち取るというのである。
 警察・検察側のほうも、「この人はやっていない。」ときっとわかるのではないかと思う。しかし、真犯人かどうかの決定は裁判官にまかせ、それより重要な事は、60%の見込みがあり、公判維持をできるかどうかに関心あると、大貫検事の語りがあったように、正義の実現という公益目的以外に表には出ないが左右する要因が、多々あるのかもしれない。



 事件で、本当に何が起きたのか、その一部始終を見ている人はいないし、たとえ見ている人がいたとしても、その人の感じ方は皆違うのであるから、評価も分かれることになる。だからこそ、証拠の採用においては、「伝聞証拠排除の法則」という人が見聞きして書き取った証拠は原則証拠としない刑事訴訟法上の重要なルールも定められている。
 また、たとえ、一部始終を見ている人がいたとしても、行った人の心の内側までは、例えば、わざとなのか誤ってなのか、殺意を持っていたのか、盗もうと思っていたのか借りようと思っていたのか等見ることができない。



 そういう中で、事件の真実というものを、証拠を集めて作り上げていく地道な作業が、裁判においてなされる。
 新幹線爆破事件の犯行当時、厚夫が神代植物公園にいたことを証明する写真が見つかったように、そして、和香子が同じように同時刻、教会の後ろの席に座っていたのを目撃した神父がいたように、偶然に証拠が発見されることも多いのであろう。冤罪なのであるから、見つかって当然であるが、かといって、厚夫の一審弁護人がしたように、出された証拠を通り一辺倒に処理する弁護士では、見つけることもできない。
 見つけようとする思いが弁護士にはなくてはならない。



 いたるところ監視カメラが設置されている今の時代なら、厚夫の無罪は簡単に勝ち得たといえるかもしれない。
 否、難しさは変わらないかそれ以上ではないだろうか。有罪にさせる誤った証拠もたくさん容易される可能性があり、それを覆すことが難しくもなっている。
 例えば、DNA鑑定なども、誤った証拠として採用されたなら、その科学的結果が一人歩きしてしまう。覆すのが難しいことは、今も昔も変わらない。



 『湿原』では、万が一、阿久津が現れねば、そのまま厚夫が新幹線爆破事件の真犯人であるとなってしまっていたようなことが、多々、世の中には存在すると思っている。和香子が、「組織」と名付けて忌み嫌った最たる例としての国家により、冤罪という刑事事件という場だけでなく、様々な場面で産み出されていると強く感じる。そして、真実の一番強力な判定は、司法による判決である。



 私が法科大学院に通うのも、阿久津とまでは行かないまでも、組織にとって都合良く作り出されている真実に対し、少なくとも、小児科医として係わる子どもの育つ環境や医学の分野においては、冤罪のようなことが、すなわち、真実ではない事が真実のように語られるようなことが、起こらないように、起こっているのであれば、正して行きたいと考えるからである。
 月島に住み開業するものとして、かつて月島にも住んでいた阿久津にあやかりたいと思う。

 「わが湿原に自由存す。」

 
 「湿原」という題名は、雪森が、自白という「失言」をしたがために10年間の長期にわたり冤罪裁判のため彼の人生を棒にふったことと掛詞であるかどうかは、わからない。
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