大川小訴訟判決2016.10.26 高宮健二裁判長
ご遺族の皆様は、その真相を知りたくてなされた裁判。
判決では、まだまだ真相が明らかにされていないと、ご遺族のコメントが掲載されていました。
判決文を読めていませんが、各紙で判決文の要旨が掲載されており、そこから事件の概要をまず、つかむことができます。
その日は、学校のリーダシップをとる校長先生が、たまたまお休みの日で起きたこと、リーダーシップの不在が災いしたのかもしれません。
市の広報車が、巨大な津波が来ることを知らせて回っていたが、ただ知らせるだけでなく、学校においては、その避難行動を確実に取らせることまでの徹底をできていたなら、もしかして子ども達が助かったのかもしれません。
少なくとも、学校は、子ども達の安全を守るために課せられた高度な義務があることを、私たちは、この判決から学び、大災害が起きたとしても、決して同じ過ちを繰り返さぬようにせねばならないと強く感じます。
***********朝日新聞2016/10/28************************
【震災前に教員が津波被害を予見し、危機管理マニュアルを改めるべきだったか】
地域に最高5・1メートルの津波が想定されるとする石巻市の防災計画でも、大川小は津波の避難対象地区外だった。津波発生時の具体的な避難場所などを明記するなど、学校の危機管理マニュアルの改訂をすべき注意義務が教員にあったとは言えない。震災前には、教員は津波で被災することを具体的に予見できなかった。
【2011年3月11日午後2時46分の地震発生直後の状況】
地震の揺れが収まった後も、余震が収束するなどして安全が確認されるまで下校を見合わせたのは、児童の安全確保のために必要な措置と認められる。
【地震発生後の注意義務違反について】
《午後3時10分ごろまで》
石巻市の防災行政無線が大津波警報の発令を伝えており、校庭でも聞こえていた。だが地震の規模はこの時点ではラジオ放送でも明らかにされておらず、被害想定を超える津波が学校に到来し、児童の生命身体に具体的な危険が及ぶと教員が予見することは困難だった。裏山への避難は、土砂災害による抽象的な危険があったと言わざるを得ず、この段階で裏山に避難しなかった教員の判断が不相当だとは言えない。
《午後3時半ごろまで》
NHKラジオが午後3時半までに県内での津波被害を伝えており、ラジオを聞いていた教頭らは、津波が格段に大きな規模で、三陸沿岸に到達したことを認識していた。
市の支所の広報車も、遅くとも午後3時半ごろまでには学校の前を広報しながら通り過ぎ、津波が沿岸の松林を抜け、学校の所在地付近に現実の危険が及んでいることを教員に伝えていた。この時点で教員は、児童が校庭にとどまっていた場合には、生命身体に具体的な危険があることを予見したと言える。速やかに、かつ可能な限り津波の被災を避けるべく、児童を高所に避難させる義務を負っていたと認められる。
教員は支所の広報を聞き、予想される津波の高さが「10メートル以上」に変更されたことを知る以前から、裏山を含む具体的な避難場所を検討していたと認められ、校庭からの避難場所を検討する時間的な余裕がなかったとは言えない。そのような中、児童は教員の引率で避難を開始し、北上川右岸の「三角地帯」(標高約7メートル)を目指していたと推認できる。
支所の広報の内容から、津波が川沿いの土地を進んでくることは、教員としては容易に想定できた。津波が三角地帯に達すれば次の逃げ場が全くなくなることからすると、6~10メートルの津波が具体的に予見される中で、三角地帯が避難場所として適していなかったことは明らかだ。
【裏山への避難について】
裏山の斜面では、過去に3年生などの児童が毎年3月にシイタケの原木を運ぶ作業を行っており、同じ3月に児童が登るのが困難だったとはいえない。現実に津波の到来が迫り、逃げ切れるかどうかで生死を分ける状況では、教頭が自らの判断で児童の安全を優先し、裏山への避難を決断するべきだった。
津波が学校に迫っている事実を知った時点で速やかに避難を開始していれば、少なくとも7分以上の時間的余裕があった。原告の実験によると、校庭の中央から標高10メートル付近に至るまでに徒歩で2分1秒、小走りで59秒かかっている。避難開始時に70人あまりの児童が校庭にいたことから、現実の避難にはより時間がかかることも考えられるが、多少の混乱をいとわずに児童をせかし、早期の避難を最優先にすれば、津波にのまれるまでにわずかでも時間を稼ぐことは可能だった。
【教員の結果回避義務違反について】
教員は午後3時半までに、児童の生命や身体への具体的危険を予見していたのであり、自主的に避難できない児童らを可能な限り避難させる義務を負っていた。だが避難場所として適切ではない三角地帯に児童を引率し、児童は津波に巻き込まれたと認められる。
教員としては、短時間に比較的容易に登ることが可能な裏山に向けて児童を避難させる義務を負っていたというべきだ。三角地帯を目指して移動した行為には、結果を回避すべき注意義務を怠った過失がある。
被災児童の死亡に関して、石巻市は国家賠償法に基づく損害賠償責任を負い、教員の給与を負担する宮城県も、石巻市と連帯して損害賠償責任を負う。