刑事訴訟法では、許されない話であるが、民事訴訟において違法収集証拠に証拠能力を認めるべきか。
ひとつの考え方をご紹介します。
【事案】
Xは、Yに対する損害賠償請求が1審で敗訴したのは、Yの被用者Aの不利な供述によるものと考え、Aから有利な証言を得ようと企て、Aに酒食を提供した席上で、同人に秘して、同人との会話を録音した上、第2審において、その録音テープ及び反訳書を証拠として提出した。
これに対して、Yが、上記録音は、被録音者Aの人格権を侵害し、詐欺的に録取されたもので、信義則、公序良俗に反し、証拠能力を有しない違法証拠であるなどとして争った。
(東京高裁判昭和52・7・15、『民事訴訟法主要判例集』判例425)
刑事訴訟では、一切認められない話ですが、民事訴訟では、どのように考えるべきでしょうか。
以下、民事訴訟における違法収集証拠の問題の考え方。
(1)本事案における法的問題点。
いわゆる違法収集証拠である無断録音にも証拠能力を認めて、証拠調べの対象とすべきかどうかが法的問題点である。
(2)(1)における問題点の指摘の根拠となる事実を、事案の中からの指摘。
第1審で敗訴したXは、敗訴の原因が、Y側の証人であるAの証言にあると考え、知人でありAの友人であるBを利用し、Aに酒食を饗応して、誘導的な質問等によってXに有利な会話をするように仕向け、それを別室から密かに録音した。その上で、Xは、控訴を提起し、当該テープを録音証拠として申請した。この録音テープ(以下、「本件録音テープ」という。)に証拠能力を肯定することが許されるかどうかが問題点となっている。
(3)民事訴訟法の第何条、または、いかなる理論の適用が問題であるか。
民事訴訟法247条、自由心証主義の制限についてが問題となっている。
(4)(3)で挙げた条文のどの文言の解釈、あるいは、理論の要件が問題となっているか。
裁判所が、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果を自由に評価し、これによって形成された心証に基づいて判決の基礎となる事実を認定することができるという原則(自由心証主義)が、民事訴訟法247条に、規定されている。
心証形成のための資料の範囲は、証拠の方法の無制限と弁論の全趣旨の斟酌からなされ、証拠方法は、無制限とされている。
しかし、自由心証主義にも制限が有り、証拠方法の制限のひとつとして、違法収集証拠をどのように制限すべきかが問題となっている。
(5)この問題について、自分と反対の結論となり得る考え方の紹介。
証拠方法の取得や使用に実体法上の違法があっても、損害賠償の問題を生じるだけで、訴訟法上の評価は自由心証に委ねられるとする見解。
(6)自分と反対の結論となり得る考え方の問題点の指摘。
無制約に証拠方法が認められるとすると、違法な方法を含め、裁判に勝つためならなりふり構わぬ証拠収集がなされることになり、その証拠収集から人格権を侵害される被害が多発することが考えられる。
人格権侵害を起こさない一定程度の制限は必要であると考える。
(7)この問題についての自分の結論と根拠。
民事訴訟法は、いわゆる証拠能力に関しては何ら規定するところがなく、当事者が挙証の用に供する証拠は、一般的に証拠価値はともかく、その証拠能力はこれを肯定すべきものと解すべきことはいうまでもないところであるが、その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて、人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によって採取されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定されてもやむを得ないものというべきである。そして、話者の同意なくしてなされた録音テープは、通常話者の一般的人格権の侵害となり得ることは明らかであるから、その証拠能力の適否に当たっては、その録音の手段不法が著しく反社会的と認められるか否かを基準とすべきものと解するのが相当であり、これを本件についてみるに、本件録音は、酒席におけるAらの発言供述を、単に同人ら不知の間に録取したものであるにとどまり、同人らの人格権を著しく反社会的な手段方法で侵害したものということはできないから、本件録音テープは、証拠能力を有するものと認めるべきである。
ひとつの考え方をご紹介します。
【事案】
Xは、Yに対する損害賠償請求が1審で敗訴したのは、Yの被用者Aの不利な供述によるものと考え、Aから有利な証言を得ようと企て、Aに酒食を提供した席上で、同人に秘して、同人との会話を録音した上、第2審において、その録音テープ及び反訳書を証拠として提出した。
これに対して、Yが、上記録音は、被録音者Aの人格権を侵害し、詐欺的に録取されたもので、信義則、公序良俗に反し、証拠能力を有しない違法証拠であるなどとして争った。
(東京高裁判昭和52・7・15、『民事訴訟法主要判例集』判例425)
刑事訴訟では、一切認められない話ですが、民事訴訟では、どのように考えるべきでしょうか。
以下、民事訴訟における違法収集証拠の問題の考え方。
(1)本事案における法的問題点。
いわゆる違法収集証拠である無断録音にも証拠能力を認めて、証拠調べの対象とすべきかどうかが法的問題点である。
(2)(1)における問題点の指摘の根拠となる事実を、事案の中からの指摘。
第1審で敗訴したXは、敗訴の原因が、Y側の証人であるAの証言にあると考え、知人でありAの友人であるBを利用し、Aに酒食を饗応して、誘導的な質問等によってXに有利な会話をするように仕向け、それを別室から密かに録音した。その上で、Xは、控訴を提起し、当該テープを録音証拠として申請した。この録音テープ(以下、「本件録音テープ」という。)に証拠能力を肯定することが許されるかどうかが問題点となっている。
(3)民事訴訟法の第何条、または、いかなる理論の適用が問題であるか。
民事訴訟法247条、自由心証主義の制限についてが問題となっている。
(4)(3)で挙げた条文のどの文言の解釈、あるいは、理論の要件が問題となっているか。
裁判所が、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果を自由に評価し、これによって形成された心証に基づいて判決の基礎となる事実を認定することができるという原則(自由心証主義)が、民事訴訟法247条に、規定されている。
心証形成のための資料の範囲は、証拠の方法の無制限と弁論の全趣旨の斟酌からなされ、証拠方法は、無制限とされている。
しかし、自由心証主義にも制限が有り、証拠方法の制限のひとつとして、違法収集証拠をどのように制限すべきかが問題となっている。
(5)この問題について、自分と反対の結論となり得る考え方の紹介。
証拠方法の取得や使用に実体法上の違法があっても、損害賠償の問題を生じるだけで、訴訟法上の評価は自由心証に委ねられるとする見解。
(6)自分と反対の結論となり得る考え方の問題点の指摘。
無制約に証拠方法が認められるとすると、違法な方法を含め、裁判に勝つためならなりふり構わぬ証拠収集がなされることになり、その証拠収集から人格権を侵害される被害が多発することが考えられる。
人格権侵害を起こさない一定程度の制限は必要であると考える。
(7)この問題についての自分の結論と根拠。
民事訴訟法は、いわゆる証拠能力に関しては何ら規定するところがなく、当事者が挙証の用に供する証拠は、一般的に証拠価値はともかく、その証拠能力はこれを肯定すべきものと解すべきことはいうまでもないところであるが、その証拠が、著しく反社会的な手段を用いて、人の精神的肉体的自由を拘束する等の人格権侵害を伴う方法によって採取されたものであるときは、それ自体違法の評価を受け、その証拠能力を否定されてもやむを得ないものというべきである。そして、話者の同意なくしてなされた録音テープは、通常話者の一般的人格権の侵害となり得ることは明らかであるから、その証拠能力の適否に当たっては、その録音の手段不法が著しく反社会的と認められるか否かを基準とすべきものと解するのが相当であり、これを本件についてみるに、本件録音は、酒席におけるAらの発言供述を、単に同人ら不知の間に録取したものであるにとどまり、同人らの人格権を著しく反社会的な手段方法で侵害したものということはできないから、本件録音テープは、証拠能力を有するものと認めるべきである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます