岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「65年目の『遺言』 朝日新聞特集

2010-12-08 01:44:39 | 戦争を語り継ぐ


12月8日は、日本が太平洋戦争を始めた日です。
もちろん中国戦線では10年余り前から戦いは始まっていました。
この12月8日は、「米英との戦闘状態」に突入した、いわゆるパールハーバー攻撃の日です。

日本には、8月と12月という忘れてはならない月があります。
戦さを始めた月と、戦さを終えた月です。
この12月に考えなくてはならないのは、「なぜ戦さを始めたのか?」ということです。

このことを考えることは、思ったより至難なことです。
終戦時の8月に思うことを考えてみましょう。
そこには、日本人は悲惨な目にあった。
ないしは、日本にも悲劇があったという被害者としての思いが
非戦の誓いとともに語られることが多い。

対して12月は一方的な加害者の立場です。
当時の状況が、日本を戦争に追い込んだという見かたもありますが、真珠湾を奇襲攻撃したのは
日本軍であり、被害を受けたのは米軍であり米国であることは事実です。

いかなる理由を考えても、日本は「加害者」以外のなにものでもありません。
このことを思い出す日であり月であることを、マスコミは報道する責任があると思います。

「65年目の『遺言』 朝日新聞特集」は、このような問題意識が特集されているのかどうか
定かではありませんが、戦争の中で苦闘していた日本人の「遺言」を特集しています。

12月7日の記事は、
死のふちにある傷病兵たちが収容された「東洋一」の海軍病院である「横須賀海軍病院」で
当時の従軍看護婦が見た戦場についての語りです。

日本赤十字社は、陸軍、海軍両大臣の監督のもとに、看護婦約33000人を軍に派遣していました。
「横須賀海軍病院」勤務となった元従軍看護婦、杉本初枝さん(86)の証言が掲載されています。

「横須賀海軍病院」は1000床という巨大な病院でしたが、戦争末期には病院船が南方から運んでくる傷病兵で
あふれていました。

その悲惨な「現場」の語り部となった杉本さんは、
「日本は『神国』と言って始めた戦争で大勢が死んだ。また戦争が起こったら、みんな何のために死んだのかわからない」と。

戦争は、「始めた時」に戻って、考えなくてはならないと思います。


※写真は、京都三条下るにある「酢屋」。
坂本龍馬が、死の直前まで潜んでいた材木商。外観はほぼ当時のまま。
この建物の2階で龍馬は、日本を洗濯する文章を書いていた。




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