『障害者の立場から「共生社会」を考える』 山口雪子 人権21・調査と研究 2019年2月号より
・2016年2月、学校側は態度を明らかにします。
教員会議の席上で学長より「来年度、山口先生には授業を担当させない、4月から新たに特別専任として来ていただく先生に担当してもらう。」
突然の発表だったが、事前に動きがありました。
この教員会議の前の一月下旬に、学生から私の授業に対してクレームが出ていると呼び出しを受け、指示に従い、始末書と次年度に向けての書面を提出していました。
・にもかかわらず、山口さんの排除する計画を進めていたことになります。
とても卑劣なことだと思います。
・ここで、山口さんのお兄さんたちはすでに対応を検討しており(2014年のことを踏まえて)、
この教員会議の3日後に代理人弁護士をしてくださっている水谷賢先生、森岡佑貴先生に出会うことができました。
(五)悩み抜いた末の結論・・・提訴へ
・裁判なんて微塵も考えていなかった山口さん。
理由は「学生や卒業生が心を痛めるようなことはしたくない」という気持ちが強かったからです。
視覚障がいを素直に認められず、頑なで強がりだった私の人間性を直していってくれたのは学友たちです。
学生時代の思い出は大切な宝物です。そんな大切な時期を過ごした学校が問題を起こして話題になっていると知れば、
学生や卒業生はどんなに辛いだろうか、と想像するだけで心がふさぎます。
・水谷先生は、山口さんの気持ちを察し大学に出向いて話し合いを提案します。穏便な問題解決を目指します。
短期大学側は授業を外す理由を主張するのみで解決の糸口すら見出せませんでした。
「授業中、学生の不適切な態度(スマホや飲食、教室からの抜け出し等)を見つけ注意できない」と、視覚障害=教員能力の欠如と決めつける短大側の姿勢に絶望的な気持ちになりました。
大学の教師を管理監督者と考えることに驚きます。大学ともなれば学生の自主的な行動が求められるはずです。小中学校とは全く異なると考えるのが普通ではないでしょうか。
さらに追い打ちをかけるように、私用している研究室を退去し、キャリア支援室へ移動するようにという指示がメールで届きました。
キャリア支援室は学生たちの就職活動などをサポートするために部屋であり、教員が研究に使用する部屋ではありません。
暗に「早く辞めろ」と言ってきているのだなと考えずにはいられませんでした。
・研究室明け渡し期限が迫っており、岡山地方裁判所倉敷支部に仮処分申請をすることになりました。
この時も水谷先生から「仮処分は非公開で行われる審議だから」と説明いただき、学生や卒業生に知られることなく解決できることを期待しました。
・仮処分審尋では担当裁判官から研究室移動については結論が出るまでは保留にすることを提案され短大側は提案を受け入れました。
お陰様で、現在でも研究室を明け渡すことなく、研究活動が維持できています。
・しかしながら、審尋の中の学長発言から視力のない者に教員はできないという主張は揺らぐ気配もなかったのです。
私は決断を迫られました。泣き寝入りをするか、戦うか・・・そして「裁判で戦う」との結論に至ったのでした。
つづきます。
お読みいただき有難うございました。