前回からの続きです。
4.学生から社会人に… 就職、そして退職
山口さんは大学の学部学科で農獣医学部農芸化学科を専攻し無事卒業しましたが、
「私は太く短く生きるために、何が何でも実験のできる研究職に就きたかったので、
学部卒では駄目だと考え、修士課程に進学しました」
終了後、臨床試薬メーカーに就職。
「思い描く人生を歩めていると嬉しさを噛みしめたことを覚えています」
同時に一人暮らしをはじめました。
そのメーカーで男女の格差を痛感し、「視力がなくなる前に実験や研究ができなくなるかもしれないという不安」
から転職を考え退職しました。
5、人生の転機…博士課程への進学、そして現職へ
退職後すぐには就職を考えず、1年間研究生と過ごしました。
出会った先生から、
「本気で研究したいと思うなら、視覚に問題があっても可能であることを証明してみせなさい。
決して視覚障害による不利がなくなる訳ではないが限りなく0に近づける助けにはなるかもしれない」。
この言葉により
「視覚障害があっても研究できるということを証明するために、博士課程へ進むことを決意したのです」
新たな進学先は、検討の末、大学の付属研究所の研究室を選ぶことになりました。
「指導教官も私の視覚障害について理解くださり、実験場の課題についても様々な工夫を話し合い、
検討してくださり、視覚障害があっても研究を続けていけるとの手応えを実感させてもらいました」
通常の博士課程は3年で終了ですが、
「博士号取得までに5年かかりましたが、今振り返っても充実した研究活動をさせていただいと感謝しています」
終了時には、34歳となっていました。
「少し私は人生を諦める時期が来たのではないかもしれないと考え始めていました」
それでも困難なことですが、研究への未練と周囲への申し訳なさから就職先を探して5か月、
「突然、現職である短期大学であの教員採用の話が舞い込みました」
そして、この年9月から採用となり現職での生活がスタートしました。
履歴書には「網膜色素変性症」であること書き、特に問題になりませんでした。
次は、短大での教員生活についてです。
お読みいただき有難うございました。