『障害者の立場から「共生社会」を考える』 山口雪子 人権21・調査と研究 2019年2月号より
(三)新たな人生観
山口さんは「太く短く生きる」をモットーに生きてきましたが一変します。
私は「幼児期の環境教育」という研究テーマに手ごたえを感じるとともに、自分自身の人生観が変化していることに気が付きました。視力がなくなり次第実験・研究できなくなった時が人生の終わり、と思い込み、太く短く生きる」と頑な決意していたはずが、いつの間にか「視覚障がいは私が自分の役割を果たすために与えられたものなのかもしれない。」と考えるようになり、視力を失った=人生の終わり、なんて意識はきれいさっぱり消えていたのです。
山口さんは、互いに認め合い、支えあう共生社会、環境教育が目指す持続可能な社会に参加、貢献したいと思うようになったのです。
(四)突然の授業外し
ところがです。こともあろうことかなのです。
新たな価値観を私に与えてくれた大切な授業でしたが、2016年2月、突然、視覚障害を理由に取り上げられました。私は、かけがえのない大切なものを取り戻すための戦いを始めることになったのです。
2014年2月からの経過
派遣会社から派遣されていた事務員(手すきの時に山口さんの視覚支援えをされていた)が契約終了で退職となり、学長から山口さんに「退職を考えるように」と伝えられた。
また、試験やレポートの採点の際、学外の知人に代読などのサポートをお願いしていましたが個人情報漏洩との叱責を受けました。
学生個々人がわからない状況を確保することで個人情報を守っているつもりでしたが、許可なく答案用紙を持ち出したとの非難を受け、私は退職せざるを得ないかと悩みました。
心配したお兄さんが学長面談を申し入れ、①答案用紙持ち出しの始末書提出、②視覚支援は私費で補佐員を雇用することで退職は免れたとのことです。
この後の経過は重要なのでそのまま転載させていただきます。
その後、2014,2015年と2年間は補佐員の方に視覚支援をいただきながら、授業を実施、レポートや試験採点を学内で補佐員の方とともに行うことで、退職勧奨の要因となった問題はクリアされたかのように想いました。
補佐員の方に来ていただいた初年度はどのように視覚支援をしていただくか手探りでしたが、2年目には反省を活かして改善でき、次の3年目はさらに改善し、安定した授業計画や運営が見込めると期待を持って進んでいこうとした矢先、突然の授業外しが通告されたのです。
お読みいただき有難うございました。