弾薬庫が並んでいます。
幅180m、前後は60mと友ヶ島で一番のスケールだそうです。
8砲座あります。
砲座も残っています。
大砲は8インチ(28センチ)榴弾砲。
日露戦争でも使われた大砲です。
1890年~92年に造られています。
たぶん、建物はその当時のものですね。
とても保存状態がいいです。
この時代のものが、第2次大戦時に有効だったとは思えません。
航空機が上空を通過してもなにもできなかった(船舶用ですから)。
当時は潜水艦の通過はあったはずで、聴音施設跡もあります。
それでも、米軍は戦時中には破壊しなかった。
破壊する価値もないと思ったのでしょう。
砲台の存在を知らなかったということは考えられません。
幅180m、前後は60mと友ヶ島で一番のスケールだそうです。
8砲座あります。
砲座も残っています。
大砲は8インチ(28センチ)榴弾砲。
日露戦争でも使われた大砲です。
1890年~92年に造られています。
たぶん、建物はその当時のものですね。
とても保存状態がいいです。
この時代のものが、第2次大戦時に有効だったとは思えません。
航空機が上空を通過してもなにもできなかった(船舶用ですから)。
当時は潜水艦の通過はあったはずで、聴音施設跡もあります。
それでも、米軍は戦時中には破壊しなかった。
破壊する価値もないと思ったのでしょう。
砲台の存在を知らなかったということは考えられません。