秋晴れの一日。気温が少し低くなってきました。
冬が本格的に来ないうちに現場の発注をすませたいものです。
さて今日は、
■ネットの友人と会う
■エゾシカで観光を の2本です。
【ネットの友人と会う】
知人を介して知り合ったものの一度も対面をせず、もっぱらメールを介してやりとりをしていた知人とやっとのことで会えた。
その知人のSさんは小学校の社会の先生なのだが、総合学習で教材を探しているうちに雪の問題や道路の問題に行き当たり、我々の世界の近くまで踏み込んでこられているのである。
いろいろとメールでやりとりをしているうちに、Sさんはかつて私の娘が通っていた小学校にお勤めだとか、当然地域に共通の知人もいるなど、親近感が増していたのです。
先生の世界は同じ教科の先生が集まって研究会を作ったりして相互に研鑽を計る事が多いが、Sさんは私と同い年にもかかわらずこの手の研究会の重鎮で、なかなかの行動派である。
ご自身の積極性でどんどんと世の中に飛び込んで行くうちに、先生の世界も狭いという事を感じ始められたようで、様々な外部の人との人脈を自分の先生仲間にも紹介して見識を広める活動もされておられるのだ。
「社会という学科は学習指導要領では『社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な【公民的資質】の基礎を養う』とあるのですが、「公民的」という点が案外忘れられている事が多いのです」とおっしゃる。
私のキーワードで言えば「社会から貪ることなく、社会に貢献出来る人間になろう」というだろう。また報徳で言えば「分度、推譲」で分をわきまえて、他に譲る精神を大事にするという事。
どれも良い事を言っているのだが、実践が伴わなければ空理空論だ。
先生も生徒も親も、全ての参加者が皆プレーヤーとして実践をする事だ。他人任せで責任も押しつける事は許されないのですな。
S先生、今日はためになるお話をありがとうございました。またお会いいたしましょう。
* * * *
今日の北海道新聞の「学園ひろば」というコーナーで「父親を教育現場へ」と題して、父親を学校に関係づける様々な取り組みについて紹介がされていた。
琴似中学校おやじの会としてこのためのインタビューを先週の金曜日に受けたので、どれくらいの書きぶりになるかと思ったけれど、案外小さくてちょっとがっかり。
学校で生徒指導を担当してくれている伊藤先生のコメントに加えて、「(父親は)三十~五十台の働き盛りが多く、イベントの打ち合わせはメールで行うなど工夫をしている。宮西勝弘会長は『片ひじはらずに長く続け、地域の活性化につなげたい』と話す」とされている。
しかしこのくらいのありきたりの書き方ではどこに苦労があったり、どこに工夫しているのかという深みに迫る事は出来ないだろう。
まあ琴似中学校におやじの会があって活発に活動しているという事が紹介されただけでも、少しは関心を引くかも知れないというくらいのものかな。
あとは我々がどれくら情報を発信し続けられるかということなのだろう。一度その意義をしっかりとまとめておく必要があるかも知れない。
良いきっかけをいただいたと思う事にしよう。
【エゾシカで観光を】
S先生との飲み会には、間を取り持ってくれた、道内を代表するシンクタンク系知識人のHさんも同席してくれて、いろいろとためになるお話を聞かせてくれた。
Hさんは忙しい仕事に加えて関わりを持っている役職の一つがエゾシカ協会の理事という立場。
「協会員で銃刀法の免許を持っていないのは私だけなんですよ」と笑う。
免許を持っていない事を笑っているうちはよいが、エゾシカの実態を聴けば笑ってはいられなくなった。
「エゾシカは道内の適正頭数が5万匹くらいと言われているのですが、実際には20万頭から25万頭はいると言われ、食害が自然の生態系を痛めつつあって問題が大きくなっています。エゾシカを撃って食べるということも始めていますが、法律で規制があって、適切な処理施設で処理しなければ食べられる肉にはならないのですが、道内は広いのでそこまで持って行く間に肉がだめになってしまうのです」
「なにか打開策はあるのですが」
「道庁が鹿肉の移動処理車を出してくれているのですがこの広い北海道にたった1台ではねえ…」
「肉への需要はあるのですか?」
「ドイツ人に『エゾシカがたくさんいすぎて調整が必要だ』と言ったところ、『肉を送ってくれればこちらでは人気が出ると思うよ』とのことでした。鹿肉は脂肪が少ないので健康的ですよね」
「しかし最近はハンターも高齢化して少なくなっているでしょ?」
「問題はそこです。しかしカナダなどでは趣味のための猟が確立しています。ですからこの二つを結びつければ、カナダ人を呼んできてお金を取ってエゾシカを撃たせてやって、その鹿の肉はドイツに輸出するということにすれば、一挙にいろいろな問題が解決するのになあ、と思っていろいろと画策しているのですけどね」とのこと。
さらに「我々が食べる肉を牛ではなくエゾシカにすれば、あんなに広大な牧草地は要らないんですよ。勝手に山で草を食べるエゾシカを我々がいただくようにするだけで、自然環境への負荷が大きく減ると思うんですけどねえ」
* * * *
私は団塊世代の先輩たちに「これから地域で貢献するための技術は、肩掛け式の草刈り機とチェーンソーを使えるようにする事です!」と言い続けてきたのだが、これからは「さらに付け加えれば、エゾシカを撃つための銃の免許です」という事にしよう。
エゾシカ観光というのも新しい切り口になるかも知れない。勉強してみよう。
冬が本格的に来ないうちに現場の発注をすませたいものです。
さて今日は、
■ネットの友人と会う
■エゾシカで観光を の2本です。
【ネットの友人と会う】
知人を介して知り合ったものの一度も対面をせず、もっぱらメールを介してやりとりをしていた知人とやっとのことで会えた。
その知人のSさんは小学校の社会の先生なのだが、総合学習で教材を探しているうちに雪の問題や道路の問題に行き当たり、我々の世界の近くまで踏み込んでこられているのである。
いろいろとメールでやりとりをしているうちに、Sさんはかつて私の娘が通っていた小学校にお勤めだとか、当然地域に共通の知人もいるなど、親近感が増していたのです。
先生の世界は同じ教科の先生が集まって研究会を作ったりして相互に研鑽を計る事が多いが、Sさんは私と同い年にもかかわらずこの手の研究会の重鎮で、なかなかの行動派である。
ご自身の積極性でどんどんと世の中に飛び込んで行くうちに、先生の世界も狭いという事を感じ始められたようで、様々な外部の人との人脈を自分の先生仲間にも紹介して見識を広める活動もされておられるのだ。
「社会という学科は学習指導要領では『社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な【公民的資質】の基礎を養う』とあるのですが、「公民的」という点が案外忘れられている事が多いのです」とおっしゃる。
私のキーワードで言えば「社会から貪ることなく、社会に貢献出来る人間になろう」というだろう。また報徳で言えば「分度、推譲」で分をわきまえて、他に譲る精神を大事にするという事。
どれも良い事を言っているのだが、実践が伴わなければ空理空論だ。
先生も生徒も親も、全ての参加者が皆プレーヤーとして実践をする事だ。他人任せで責任も押しつける事は許されないのですな。
S先生、今日はためになるお話をありがとうございました。またお会いいたしましょう。
* * * *
今日の北海道新聞の「学園ひろば」というコーナーで「父親を教育現場へ」と題して、父親を学校に関係づける様々な取り組みについて紹介がされていた。
琴似中学校おやじの会としてこのためのインタビューを先週の金曜日に受けたので、どれくらいの書きぶりになるかと思ったけれど、案外小さくてちょっとがっかり。
学校で生徒指導を担当してくれている伊藤先生のコメントに加えて、「(父親は)三十~五十台の働き盛りが多く、イベントの打ち合わせはメールで行うなど工夫をしている。宮西勝弘会長は『片ひじはらずに長く続け、地域の活性化につなげたい』と話す」とされている。
しかしこのくらいのありきたりの書き方ではどこに苦労があったり、どこに工夫しているのかという深みに迫る事は出来ないだろう。
まあ琴似中学校におやじの会があって活発に活動しているという事が紹介されただけでも、少しは関心を引くかも知れないというくらいのものかな。
あとは我々がどれくら情報を発信し続けられるかということなのだろう。一度その意義をしっかりとまとめておく必要があるかも知れない。
良いきっかけをいただいたと思う事にしよう。
【エゾシカで観光を】
S先生との飲み会には、間を取り持ってくれた、道内を代表するシンクタンク系知識人のHさんも同席してくれて、いろいろとためになるお話を聞かせてくれた。
Hさんは忙しい仕事に加えて関わりを持っている役職の一つがエゾシカ協会の理事という立場。
「協会員で銃刀法の免許を持っていないのは私だけなんですよ」と笑う。
免許を持っていない事を笑っているうちはよいが、エゾシカの実態を聴けば笑ってはいられなくなった。
「エゾシカは道内の適正頭数が5万匹くらいと言われているのですが、実際には20万頭から25万頭はいると言われ、食害が自然の生態系を痛めつつあって問題が大きくなっています。エゾシカを撃って食べるということも始めていますが、法律で規制があって、適切な処理施設で処理しなければ食べられる肉にはならないのですが、道内は広いのでそこまで持って行く間に肉がだめになってしまうのです」
「なにか打開策はあるのですが」
「道庁が鹿肉の移動処理車を出してくれているのですがこの広い北海道にたった1台ではねえ…」
「肉への需要はあるのですか?」
「ドイツ人に『エゾシカがたくさんいすぎて調整が必要だ』と言ったところ、『肉を送ってくれればこちらでは人気が出ると思うよ』とのことでした。鹿肉は脂肪が少ないので健康的ですよね」
「しかし最近はハンターも高齢化して少なくなっているでしょ?」
「問題はそこです。しかしカナダなどでは趣味のための猟が確立しています。ですからこの二つを結びつければ、カナダ人を呼んできてお金を取ってエゾシカを撃たせてやって、その鹿の肉はドイツに輸出するということにすれば、一挙にいろいろな問題が解決するのになあ、と思っていろいろと画策しているのですけどね」とのこと。
さらに「我々が食べる肉を牛ではなくエゾシカにすれば、あんなに広大な牧草地は要らないんですよ。勝手に山で草を食べるエゾシカを我々がいただくようにするだけで、自然環境への負荷が大きく減ると思うんですけどねえ」
* * * *
私は団塊世代の先輩たちに「これから地域で貢献するための技術は、肩掛け式の草刈り機とチェーンソーを使えるようにする事です!」と言い続けてきたのだが、これからは「さらに付け加えれば、エゾシカを撃つための銃の免許です」という事にしよう。
エゾシカ観光というのも新しい切り口になるかも知れない。勉強してみよう。