北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

悲しい幼児虐待死

2009-04-24 23:12:38 | Weblog
 大阪でまた悲しい養女虐待死事件が起きました。

 例によって学校の記者会見の様子も映し出されていて、教育長の「学校がもっと強く踏み込んだ対応を取っていれば、最悪の事態は避けられたと思う」と苦渋をにじませた、という声が紹介されていました。

 しかしいろいろと記事を読む限りでは、この担任の先生は学校を休みがちだった聖香ちゃんの家を二度家庭訪問していて、内縁の夫の小林容疑者によって「和歌山の実家に預けた」と白を切られてそれ以上踏み込めなかったのだとか。

 ひとたび事件になれば、「なぜ保護出来なかったのか」と後知恵で批判する人が現れるものですが、『最悪の事態』は本当に避けられたのか?いや、最悪の事態が避けられたということは、事件になっていないのだから、なにがどのように功を奏しているのかまでは分からないのではないか、などと思うのです。

 学校での先生たちの普段の活動がどれだけ最悪の事態を予防しているのかが分からないままに、悲劇が起きた時には「もう一歩踏み込んでいれば…」というのは、マスコミ的にはお約束の発言のように思えます。

 虐待と判断して家庭の中に踏み込むなどということは、先生だけではなく児童相談所の対応も含めて相当の覚悟が必要ですし、後々の親との関係や子どもへの影響だって計り知れないことです。

 事件前に踏み込んでも、踏み込めずに事件になっても批判されるのは学校というおかしな構図になっています。

 そもそも一番に責任を負わなくてはならないはずの人たちの責任こそが問われるべきであるはずで、悲しみと怒りに振り上げた拳の降ろし処を間違えてはいけないように思います。

 こんなことにならないように、学校だけではない地域全体での取り組みが必要。では自分もその一人として行動出来るのか?問題は簡単ではありませんね。

コメント
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