北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

親がだらしない、か…

2009-04-18 23:00:06 | Weblog
 教育界に身を置く友人との会話。

「『教育』って『教え育む』ということなんだけど、最近は教える先生の側の力量も問題ですが、教えられた生徒である子どもたち自身の育む力も落ちているんだよ」
「例えばどんなことが?」

「例えばちょっとだらしなくしている女の子がいるとするよね。昔は『そんなにだらしないとお母さんがだらしないと思われるぞ!』って叱ったものなんだ」
「本人以上に母親の面倒見の力だな」

「そう、昔はそれが効いたものだし、『親を悪く言うな!』なんてちょっとしたトラブルだってあったものなんだ。ところが最近は、そういう叱り方をしてもとんと反応が無いときたもんだ」
「ううむ、そういうものかね」

「『だらしない』というのは、相当に強い非難の言葉だったはずなんだけど、今はだらしないのが当たり前になったのか、と思ってしまうよ。多分家庭教育の領域なんだろうけどなあ」
「なるほどな。親として子どもに対して言うことを聞かせるような関係性を保っているかどうか、ということかな」

「そうかもしれない。学校はどこまで家庭のなかに影響出来るのか、難しいところだな」

    ※    ※    ※    ※

 私自身だって、だらしないところはたくさんあるし、恥ずかしくなることも多いので、学校の先生に言われたからといってすぐに直せないこともあるはず。

 しかし、それを簡単にあきらめてしまったのではやはり自身の自己改善=しつけにならないということでしょうか。

 自分に嫌なことは良いことだ、とはなかなか思えないのも人情でしょうか。難しいね。 
コメント
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