北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

青春時代の真中で

2011-02-15 23:25:59 | Weblog
 私は旭川の高校出身なのですが、そこの出身者による同窓会が開かれました。

 地域一番高を出た者の多くは地元に残るか、あるいは大都会へ出るというのがよくある流れなので、地方都市にいるものが集まれるというのは転勤者が多いということでもあります。
 
 一期上や三期上の先輩などは、当時はとっても怖い先輩だったのですが、社会に出た今となっては一定の敬意を払いながらも思いを同じくできる話しやすい先輩に変貌しています。

 我々の三期上の先輩は、当時進歩的な高校で流行った制服の廃止に取り組んで見事に実現した世代。

「『酔っ払いのテツ』(笑)とあだ名される生徒会長のアジ演説が上手くてさ、あれよあれよと言う間に服装が自由化されたよな」

 そのおかげで、我々は一年生の時から服装が自由化されていました。もっとも私服と言ってどういう服装をして言ってよいか戸惑って、ジーパンに上は学生服という取り合わせの服装の同級生が何人もいました。今は一体どういう服装をしているのでしょう。

    ※     ※     ※     ※     ※

 先輩の一人が分厚い同窓会名簿を持参してくださって、面白がって同期の人間を探してみたら、今日参加してくださった中に『彼ならよく知っているよ』という人がいました。

「携帯に電話番号も入っていたなあ」ということで、卒業以来一度もあっていない友人と34年ぶりに会話ができました。時間は一瞬で縮まります。

    ※     ※     ※     ※     ※

 高校で学んだ一番のことは、結果として「勉強は教えられるものではない。自分でやらないとダメ」ということでした。

 教えられたからわかったことなどあまりなくて、自らが納得したことだけがいつまでも自分の血となり肉となっています。 

 しかし高校生当時には、そんな当たり前のことがわかりませんでした。誰かに言われたのかもしれませんが、心に響いていなかったのですね。

 今思い返すと反省と甘酸っぱい後悔の念が沸き起こりますが、それがまた青春であり、その反省があるから今があるとも言えます。

 たまには青春時代の恥ずかしかった自分を思い出して、自らを奮い立たせるような機会があると良い。

 身近なところに頼れる関係を持った人たちがいるというのは心強いものです。

 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする