ここのところ立て続けに愛用のシャープペンシルを二本紛失しました。
それほど活動的に動いているわけでもないので、せいぜい職場か今の住まいか、札幌の自宅のどこかにあるはずなのですが見つかりません。
友人にそのことを言うと、彼は「僕はいつも胸のポケットに刺すか、出すときは机のこの場所と決めている。そういう自分のルールに忠実にしているから滅多になくさない。まあ"ルーチン"かな(笑)」と言いました。「うーん、それはルーチンなのか?」
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ラグビーのワールドカップ日本代表で五郎丸選手が活躍し、彼がキックをする前に行う一連の決まり切った動作は"ルーチン(またはルーティーン)"と呼ばれ、今や流行のキーワードになりました。
蹴る方向をしっかりイメージしてそこを狙って安定したキックをするためには心の乱れを取り除く必要があって、「緊張して当たり前の状況でも蹴ることに集中できる」ように考案されたのがあのルーチン。
あるテレビ番組に、五郎丸選手にルーチンを指導した兵庫県立大准教授の荒木香織メンタルコーチが登場して、「それまではキックをする前の動作が定まっていなくて、突然ちょこちょこと走り出してぽんと蹴るんだけれど精度を欠いていたんです。それが同じ動作から入ることで精神が安定して精度の向上に繋がりました」と言っていました。
実は同じ行動をしていると気が楽になるということは普段の我々の行動の中でもごく普通に見られることです。
日頃の生活の中では、料理や掃除など日常で繰り返される動作はまさにルーチン。パターン化されて決まり切った型にはまっていませんか。
お米を研いで水を捨てるときの動作、包丁を洗って布巾で拭き取って包丁差しに納める動作、味噌汁に味噌を溶かすときの動作、靴の紐の結び方などなど、考えてみれば毎日同じ動作をしているのではないでしょうか。
ところで、皆さんは通勤経路が毎日同じ道を同じようにあるいていないでしょうか?どこの角を曲がってどこの階段を上り下りするのは毎日同じではありませんか。
そしてそれって、緊張を解きほぐすのとは別な種類のルーチンではないでしょうか。
実は自分の「脳」というやつは実に怠け者の器官です。効率化の名のもとに、余計なことをせずに楽をしたがります。毎日通勤通学に同じ道を歩くのは余計な視覚的情報をインプットされたくないから。
普段の動作を変えたくないのは、面倒くさいからと思うかもしれませんが、実は脳が巧みにあなたの心理に働きかけて、(余計なことをすると疲れるぞー。だから止めておけよー)と囁いているその結果です。
しかしそんな楽な生活の延長にあるのは、(余計な本を読むと疲れるぞ)とか、(新しいことを始めると覚えるのが大変だぞ)という堕落の道に違いないと私は思います。
敵は怠惰な自分の心ではなく、楽をしたがる脳です。自分自身の脳と戦うべきは自分自身の体です。つらい練習に音を上げるのは楽をしたい脳の勝ち。面倒くさくて論文や本を放り投げては脳の勝ち。
辛いけれどやらなくちゃいけない、という体の欲求に勝ってこそ強い精神力が得られ、辛さを乗り越えた時にこそワンステップレベルアップした活性化した脳の力が得られるはずなのです。
だから何も変わらない日常を「ルーチンだ」などといってごまかしておらずに、肉体的にでも精神的にでも、常に新しい情報やトレーニングを取り入れ、昨日の自分とは違う今日の自分に成長させるのがより良い人生であり、私はそれを「生涯学習的生き方」と呼んでいます。日々違う何かを手に入れましょう。
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そんなわけで、日々成長をしようと思う私なのですが、やはりシャープペンシルは出てきません。
頭に何かを入れると何かが出ていってしまうのは歳のせいなのかもしれませんが…。