北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

スローライフと報徳と ~ 榛村さんの切り口は今でも新鮮

2017-11-08 22:06:33 | Weblog

 

 掛川の朝は雨でした。

 今回の来掛の目的は、午前中にタイ国から来ているスクウィンさんという博士とスローライフ談義をすることです。

 スクウィン博士は、イギリスやアメリカなどいくつもの大学でビジネスや心理学の博士号を取り、またさらにいくつかの学問領域でもマスターを取得している学者さんです。

 その方が、スローライフというキーワードに興味をもっていろいろな国でのスローライフ活動を調べてみたところ、なんだかんだ言って、掛川のスローライフ運動に行き当たるということで、掛川に興味をもって突然訪問されたのだそう。

 最初の時は3日間の滞在で、その次が8日間だったのですが、この際に外国人の観光客へサポートサービスをする国際交流センターの対応もよかったようで、いたく掛川を気に入りました。

 そこで、「スローライフに詳しい人に会いたい」というリクエストを出し、それが当時一緒にスローライフ運動をした人たちに届き、「とはいえ、スローライフ運動は当時の榛村市長と小松助役から出た話だし…」ということになり、スクウィン先生は榛村さんへのインタビューと、私にも会いたいということになったのだそう。

 スクウィン先生、「小松さんに会うなら札幌まで行ってもよい」とおっしゃったそうですが、私が札幌で二人だけで話をするよりも、私が掛川へ行けるならそこで、当時の仲間たちと一緒に話をする方がわかりやすい、と思ったので、東京出張のついでに掛川まで足を延ばしたのでした。

 さて、スクウィン先生は榛村さんを含めて何人かから聞いた話をもとに、スローライフ運動が成り立った要素を自分なりに整理した図を作ったりして、とにかく動きが速い。

「スローライフ運動は、これからの時代にとても時宜にかなった意味を持つので、これを学ぶ大学を掛川に作って、学生を世界中から集めたい」と壮大な構想を話してくれましたが、まあ大学はさておき、私からはその当時に私が考えていたスローライフ運動の背景をプレゼンテーションしました。

 そして、「スローライフ運動のような意識改革、生活改革、価値転換は、本来行政がお金をかけるテーマではないと感じたので、受け皿としてNPO団体を設立して、市民活動として継続を図った」といった、当時の事情を説明しました。

 スクウィン先生の方は、母国タイが中国資本が過剰に流入することで一部の経済は潤っているものの、それに起因する様々な弊害に心を痛めていて、それらを"Social pollution(社会的汚染)"だ、と批判し、それに対抗できる生活思想がスローライフなのではないか、と期待を寄せているようでした。

 対談の中で私が気付いたことは、私も掛川へ来てすぐの頃は生涯学習という考え方を素晴らしいと思ったり、やがて報徳思想を学んでこれもまた立派なものだ、と感心した、そんな外部の人間が新しいことに触れて目からうろこが落ちるような驚きと高揚感の中にいるのではないか、ということでした。

 それこそ慌てて拙速に考えをまとめてしまうのではなく、もう少しじっくりといろいろな出来事に触れて、多くの人と語る中で、日本の地方都市における都会とは異なる価値観としての生活哲学としてスローライフをとらえてみる方が良いと思った次第。

 でもこういうすごい人たちを引き寄せたのが、かつての掛川市政の遺産なんだ、と思うと、かつて15年以上も前にわけもわからず一生懸命に取り組んだことがちょっと誇らしくもなりました。


       ◆ 


 昼前にスクウィン先生との対談は終わったのですが、そこで「榛村さんに会えますかね」と訊くと、「なんか榛村さんも、小松さんが来ているなら会いたいな、と言っていたようですよ」とのことで、午後に報徳社をお訪ねして榛村さんとお会いしてきました。

「やあ、久しぶり」
「お久しぶりです、お元気ですか」

 会えばやっぱり時間が15年前に戻った感じ。話は生涯学習からスローライフ、報徳へと縦横無尽です。

「そうだ、新しい報徳の本が出た話をしましたか?」
「いいえ」

「じゃあ一冊差し上げますよ。僕も寄稿を頼まれて、はじめの方に報徳とまちづくりに関した文章を載せてもらっているんですよ」
「おお、本当だ、参考になります」

 

 久しぶりに二人で対談した風景を写真に撮ってもらいました。懐かしい風景です。

 
 掛川では現在開催中の「茶エンナーレ」という現代アートプロジェクトが開催中です。これを榛村さんはどう捉えているか訊いてみました。

 すると「現代アートを『なんだかわからない』と言って批判する人もいるけれど、軽々しく批判しない方がよいと思うのです」
「はい」

「戦国時代に当時の現代アートを作ったのは、安土城の天守閣です。あんなものはそれまでなかったわけで、それをやったのは織田信長。信長は当時の現代アートプロデューサーだったわけで、そういうところから新しい時代が作られるということがあるんだから、今日の現代アートも軽々しく考えない方が良いと思いますね」

 私からのいろいろな質問にも、思いもよらない角度から考えを述べられる榛村さん。まだまだご健在ですね。

 今日一日、いろいろな人にお世話になって掛川を案内してもらいました。

 皆さんありがとう。お世話になりました。また行きますよ。

 

コメント
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