北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

貸し借りこそ人生

2017-11-02 23:47:51 | Weblog

 

 来週は月曜から中央要望ということで、北海道選出の国会議員や国土交通省を訪ねて、予算要望や事業の進捗などを要望してきます。

 こういう活動って、『行ったから』と言ってすぐにどうにかなるものではありませんが、さりとて、だから行かなくてもなるようになる、というものでもない、という微妙な活動。

 しかしそれが自己満足というわけでもありません。民の声、業界の声を地道に伝え続けるという小さなエネルギーは、一滴の雨水がやがて小さな流れになって大河となるのに似ているような気もします。

 一滴のしずくはそれだけでは大河にはなりませんが、その一滴がなければ大河にもならない、というわけで、どこか選挙での自分の一票にも似ています。

 全ては「動く」という意思から始まるのです。

 
          ◆ 


 選挙が終わって約十日が経過しましたが、地元では割と簡単に気さくに会えた先生たちとも、東京で会おうと思うとその10分が難しい。

 別に天狗になっているわけではありませんが、とにかくやらねばならないことが次から次へと押し寄せてくるので、こちらの都合どおりに物事が進むわけもないわけで。

 しかし、これもまた、なにもしないよりは「いないときに来たよ」が次の活動に繋がります。

 そして「人に会う」ということは、紹介してもらうことが必要になります。

 紹介してもらうという小さな恩はどこかで小さな返礼で報いる。

 「借りは返さないといけなくて煩わしいので、借りは作らない」として、いろいろな人との交流を避ける人もいます。

 しかし多かれ少なかれ、その貸しと借りの絶妙なバランスを取って行くのが社会で暮らすという事。

 これってさらに上級テクニックになると、「借りたら返す」だけではなく、「返してあげるために借りる」という高度なテクニックを使うこともあるのです。

 ただし「借りた恩に対して法外に返し過ぎる」というのも、「小さな貸しに対して法外な返礼を求める」のもスマートではなく、品がありません。そういうバランスがだんだんわかってくるのが経験を積んで成長して大人になる、ということだと思います。

 ところが人間観察をしていると、さらに人間ができてきて、貸しと借りのバランスなどもうどうでもよくなって、とにかくなんでもやってくれるというところまで達してしまう人がいます。

 借りっぱなしでなかなか借りた分を返せない恩義を感じてしまうのですが、そういう人はよく「恩義を感じたら僕にじゃなくて、社会や後輩に返せばいいよ」なんて言ったりします。

 そこまでいけるとカッコいいな、と思いますが、私などはまだまだ修行が足りません。

 よし、職場へのメールは私のパソコンに転送できるようにして、来週は出張三昧です。

  

コメント
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