来週に、またあるところからお声がかかって、お話を聞きたいというので、「二宮尊徳の報徳と北海道の漁村振興」ということで講演を予定しています。
北海道では、昭和十年代に道庁に赴任した遠山信一郎さんという経済部長がとても報徳思想に造詣が深く、これを推し進められました。
これに深く感銘して、報徳をちょうど始まっていた協同組合運動の精神的支柱として役立てて、農漁業の発展の基礎を築いたのが、酪農の黒澤酉蔵、農業の小林篤一、水産の安藤孝俊の三人です。
この三人が活躍した大正から昭和の時代は、まだまだ社会制度や経済など全般に成熟していない部分が多く、商人たちによる搾取が後を絶ちませんでした。
そのため弱い立場の農漁業者たちは厳しい立場に置かれ、貧困から抜け出せずにいたのです。
さらには、冷害や災害が多発し、戦争、敗戦、復興などという過酷な時代でもありました。
そうした中にあって、この三人には、苦難に耐えて協同組合活動を経済発展のよりどころとして、貧困にあえぐ農漁民を奮い立たせ、物心両面で尽力したという共通点があります。
この三人の中で、一人安藤翁だけが違うのは、道庁の遠山部長からの報徳を学ぼう、という誘いに最初は拒否を示していたことです。
「偉い部長が言うので、出世のためならと報徳を学び、口先だけ報徳を唱えているような輩は、遠山さんが北海道を離れたころにはもう報徳とは言わなくなった」と、上司にへつらう者どもに批判的でした。
ところが黒澤翁や小林翁が、酪農と農業の部分で成功を収めて行ったのを見て、改めて報徳を学んでみたところ、実に協同組合活動と親和する部分が多いことに気がついて、これを精神的な中心に据えた活動とすることに決めたのです。
今日とは時代背景が大きく異なりますが、制度があってもそれを運用するのが人である限り、大いなる自覚を持って自ら動く人が増えることこそが豊かな社会に繋がることでしょう。
二宮尊徳の最後の日記には、「予が足を開け、予が手を開け、予が書簡を見よ、予が日記を見よ、戦々兢々として深淵を臨むがごとく、薄氷をふむが如し」とあります。
困ったり苦しくなったら、二宮翁の本を読んで、心の荒蕪を拓きたいものです。