北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

萩の歴史と津和野のSL山口号~ラッキーな旅でした

2017-11-25 23:40:17 | Weblog

 朝から萩市内を観光。今日の目的は江戸時代を感じる街並み観光です。

 まずは萩に残っている反射炉の遺構と造船所跡を見学。

 萩に残る反射炉は、トライ&エラーの産物で、外国の武器の強さに驚いた長州藩が、より品質の高い鉄を作る必要を痛感して作った施設なのですが、実際にはうまくいかなくて、遺構だけが残った代物だそう。

 反射炉の「反射」とは、燃焼室で石炭などを焚いて出た熱を天井や壁で【反射】して後ろにある路床に集中させることで質の高い鉄を製錬させるという仕組みであることからこの名がついたよう。

 ずっと「反射」って何のことかわからずにいたので、これで合点がいきました。旅をするといろいろなことがわかります。


       ◆ 


 萩市内は、今でも江戸時代の古地図で市内の道が読み取れると言われるほど、昔ながらの街並みが残っています。

 萩博物館で、ボランティアガイドをしていた女性にそのあたりのいきさつを聞いてみるとこんなことを教えてくれました。

「もともと毛利家は、関ケ原の戦いに参戦はするけれど、抵抗はしないので所領は安堵してほしい、という密約を徳川と交わしていたんです。ところが合戦が終わってみると、それまでおおよそ今の広島・島根・山口にまたがる八州あった領地が、長門・周防の二州に厳封されました。その恨みというのはずっと残っていて、明治維新の徳川幕府転覆にまでつながっていったんです」
「なるほど」

「で、長門・周防の二州に厳封されたときに、藩の居城をどこにしようかと幕府に相談したところ、『萩は三方を山に囲まれていて堅固要塞の土地であるからそこが良かろう』ということで、ここ萩にお城を構えて、武士団による城下町を形成しました。城下町なの「で、産業はなくても米や物資は藩内の各地から送られてきてことは足りる。なのでろくな産業のないままに幕末を迎えました」
「ほうほう」

「実は文久3(1863)年に、萩ではあまりに北に偏っていて藩政が十分に行えない、というので藩都を山口に移しました。そうすると武士団もそちらへ移動してしまって、産業がないところは一気に困る」
「で、どうしましたか」

「そこである人が『夏みかんを植えよう』ということを奨励して、それが当たりまして、地域の一大産業になり、財政的にはなんとかなったんです。今も市内各所に夏みかんが植えられているのはそのときの名残ですね」
「へえ、面白い」

「萩は二つの川の三角州のなかに形成された城下町で、川沿いには防備の武士が配置されましたが、土地の低い真ん中は畑として使われていたんですが、そこが近代化の際の道路をはじめとする土地利用に使われて、昔ながらの街並みをほとんど壊さずに済みました。また、大した工場もなかっので空襲も受けず、それらが燃えずに残されたことで今日の姿になっております」

 なるほど、萩の今の町の姿の歴史がよくわかりました。

 萩では、観光地のいたるところに黄色いジャンパーを着たボランティアガイドの方がいて、丁寧な説明をしてくれました。それも、型通りの一方的な説明ではなく、こちらからの質問にも丁寧に答えてくれるレベルの高いガイドさんたち。
 『まちじゅう博物館』という名にふさわしい、質の高いガイドさんたちにあらためて感謝いたします。ありがとうございました。


       ◆  

 萩を十分に堪能してから、今度はお隣島根県の津和野見物。萩からは車で一時間ちょっとです。

 津和野は、町の中心部に伝統的建造物群保全地域をかけて古い街並みを維持しています。高い近・現代の建物は学校や病院くらいなもので特に古い街並み地域は歴史的な景観が楽しめます。

 ここはさだまさしさんの歌「案山子」に出てくるところで、「…城跡から見下ろせば、蒼く細い河、橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突…」という歌詞がこの町の情景だと話題になったところ。

 それでは城跡から町を眺めなくてはなるまい、と太鼓稲荷神社の隣にある観光用リフトで山城跡を目指します。

 するとリフト乗り場の近くにやたらとカメラを抱えた人が多くいます。

 券売り場の方に「今日は何かあるんですか?」と訊くと、「SL山口号が15時45分に津和野駅を出発して山口へ向かうので、それを撮る鉄道ファンがたくさん来ていて、お城の上から撮影する人も随分上っていきましたよ」とのこと。

 なるほど、津和野までの車中からも多くのカメラマンが見えたのはそのせいでしたか。

 津和野城跡へと上ってみると、頂上には十数人の撮り鉄たちがカメラを手にSLが走り出すのを待ち構えています。

 我々が到着した時には、あと15分ほどでSLが出発するということだったので、これはチャンスと我々もにわか撮り鉄としてSLの勇姿を撮影することにしました。

 …といっても、せいぜいスマホなのでそれほどすごい写真が撮れるはずもありませんが、それでも津和野の街並みを走るSL山口号の姿を撮影することができました。結構ラッキーなことですね。

 あとは夕暮れが迫る中、時間の許す限り津和野の町を歩いたり、地酒を買ったりして回りましたが、もう少し時間が欲しかったな、というのが正直なところ。

 また来たい、と思うくらいが丁度よいのかもしれません。

 天気にも恵まれてラッキーな、萩・津和野の旅でした。
 

コメント
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