北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

10年寝かせた味わい深さ ~ よみがえるスローライフ運動

2017-11-01 23:55:55 | Weblog

 

 いよいよ11月に入り、今年のカレンダーもあと二枚となりました。

 テレビを見れば、年賀はがきの売り出しのニュースもこの時期の風物詩。

 今月は自分の関わる大きなイベントが9つあって、それぞれに資料作成の事前準備が多くて、気の休まらない月になりそうです。

 特に来週は大物のイベントが4つあって、特に厳しい一週間になりそうなのですが、そのなかでちょっとユニークなものが、掛川市から「来てほしい」という依頼を受けている案件。

 御用の向きは、タイの学者先生が日本のスローライフ運動に興味を持って調べていたところ、どこを調べても掛川の活動にたどり着いたのだそう。

 そこで、どうやら掛川の運動がそのルーツらしい、ということになり、掛川で当時スローライフ運動にかかわった人たちから詳しい話を聞きたい、ということになったのだと。

 そこで聞かれた人たちが一様に「当時掛川でスローライフ運動を主導したのは、元市長の榛村さんと、それをサポートした小松助役です」と言ったことから、「では榛村元市長さんと小松元助役に会いたい」ということになり、会う算段になったのです。

 タイの教授先生は、「なんだったら札幌へ飛んで小松さんを訪ねたい」とまで言ってくださったそうですが、こと掛川のスローライフということになれば、やはり現地の掛川で当時一緒に悩み、もがき、苦しみながら方向を見つけ出していった仲間たちと一緒に話してこそ臨場感を伴うものになるでしょう。

 そこで東京出張の用事を終えた後の7~8日で掛川へ移動して、タイの先生とお会いすることとしたものです。

 当時を思い返してみると、生涯学習運動の帰結として、具体のスローな政策から入ろうと考えている榛村元市長さんと、私の方は、それをどう理論づけして説明し、しかも一か月にわたるイベントとして成立させるかに苦労したものでした。

 また、掛川生活の後半は、このスローライフ運動が一過性のイベントで終わらせるべきではない、ということから、活動の基盤をイベントの実行委員会から、NPO法人を設立し、行政の主導からNPO活動での市民運動に展開したことも印象深く思い出されます。

 そういう意味で、とても自由にやらせてくれた掛川市への恩はちゃんと返さないといけないという義理もあって、掛川へと赴くことにしました。

 さて、スローライフ運動は国境を越えた思想哲学になれるでしょうか。
 

コメント
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