山口県の旅の三日目。
昨晩は萩市に泊まって、今日からは山口県の北東部を見て回ります。
今日の目玉は秋吉台とその一帯。もちろん日本最大の鍾乳洞、秋芳洞も目的の一つです。
まずは秋吉台道路のカルスト地形の前に手前にある大正洞という鍾乳洞を見学することに
ここで、大正洞の他にすぐ近くの景清洞(かげきよどう)そして本日の目玉の秋芳洞と三か所が格安で見られるセット券を購入。
不勉強なことに、ここへきてようやく秋吉台というのはカルスト台地一帯のことで、そこにある日本有数の大きな鍾乳洞の方は秋芳洞という名前だということを知りました。
うすぼんやりした知識って駄目なものですね。
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大正洞は、鍾乳洞の歴史からいうとまだ新しい洞窟なのだそうですが、素人にはよくわかりません。
景清洞は、その昔源平の合戦で敗れた平景清が身を潜めたという故事から景清洞と呼ばれるようになったもので、中は中間地点までコンクリートの平らな遠路が作られており、バリアフリー対策がばっちりされています。
途中から奥は、まったく照明がされていなくて、そこから先は冒険コースとして追加料金300円で懐中電灯とヘルメットを借りて進入することができます。子供連れで探検隊になるのは面白そうですね。
秋芳洞は入り口が正面入り口と黒谷入り口の二か所にあります。もともとあったのは正面入り口で、こちらから洞窟へ入ると上り調子で黒谷入り口へと向かい、反対は下り調子となります。
今日は正面入り口から入ってみましたが、駐車場から洞窟の入り口までは3~400メートルほども商店が軒を連ねていて、いかにも昭和レトロな観光地という感じがします。
それでも中国からの観光団体御一行様は名物のソフトに群がっていましたから、こういうスタイルでも喜ぶ人はまだまだいるのでしょうね。
秋芳洞の洞窟はさすがのスケールで、中へ入ると天井からの鍾乳石と下から延びる石筍、それにさらにいろいろな成分の混じった石灰水が固まったいろいろな造形が見られて、変化に富んでいます。
それでもこの洞窟空間を面白くしているのは、絶妙なネーミングと言えるでしょう。何気ない石一つに、おっと感心するような名前を付けることで、それが一つの景勝ポイントになるのです。
またネーミングも、そもそもが古い時代からの観光地であるため、○○観音とか、××大仏など、信仰に由来するものがあるのも歴史を感じさせているのかもしれません。
それでも段違いの水面を「千枚田」と呼んだり、鍾乳石がたくさんぶら下がっている天井には「傘づくし」と名付けるなどは面白いセンスだなあと感じ入ってしまいます。
ネーミングは最後の最後でとても大事な観光地の味付けになりますね。
秋芳洞の中には、ポイントポイントにボタンを押すと景観のポイントを説明してくれる音声ガイドシステムがあるのですが、こちらではちゃんと日英中韓の四か国語に対応していました。さすがの国際化対応です。
それにしても、鍾乳洞っていかにもSF冒険映画に出てくる悪者の潜む基地のような感じがしますね(笑)
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そのあとは再び萩へ戻ってきて、今度は吉田松陰ゆかりの松陰神社と松陰のお墓などを訪ねます。
松陰神社はもともとあった松下村塾の周りを整備して神社としたもので、松下村塾は今でもしっかりと残されています。
東京の松陰神社にも松下村塾を復元したものがあってそちらは見学したことがあったのですが、今日は本物を見ることができて感慨無量です。
吉田松陰のお墓は萩市の東側の高台にあって、萩市内の眺めが良い場所です。また、高杉晋作のお墓も松陰さんのすぐ後ろに建てられています。
丁度今年は明治維新から150年ということで日本中でいろいろな地域が盛り上がっていますが、ここ山口県では今年が高杉晋作没後150年の150年忌ということで、あちこちに幟が建てられています。
松陰門下の塾生のその後の運命は、早死にするか政府の高官に上り詰めるかの究極の二つに一つ。
早世した同門の仲間たちの人生も存分に生きたのだと思えば合点がいきますね。
幕末の歴史と言えば、やはり長州は欠かせません。