「本来は行政の仕事のはずなのですが…」というセリフを聞くことが多くなりました。
最近は行政もサービスだ、という風潮が強くなる一方で、もともとは住民や各個人が担うべき事柄までも行政に押し付けて事足れり、とすることが多くなっています。
行政だって打出の小槌を持っているわけではないので、行政経費を自らが生み出すというわけには行きません。
自分たちで稼げる税金のほかに、国や道などからの交付金や補助金、さらには自らの借金である起債事業などによって予算を調達して、その範囲でできることをしているにすぎないはずです。
行政ができるサービスを現代社会の力とすると、それと各個人の力を足したものが、得られる満足のように思われます。
しかしこの考え方には、先に行政のサービスがあって、その恩恵を受けてから後に自分の持っている資産や能力を足そうという、考えがにじみ出ているように見受けます。
今日のような行政が発達していなかった昔は、まず自分というものがあって、それができるだけ頑張るのだけれども、足らざる部分や、社会の助け合いによってなされる支援というものを期待するという順番だったはずです。
それがいつの間にか、「税金を払っているのだから、行政のサービスを受けるのは当然」というところから出発してしまっていて、自らの努力を出し渋るような風がまん延しているように感じられます。
二宮尊徳が生きた江戸時代末期などはまさに、そんな行政サービスの力がほとんどなかった時代であり、だからこそまずは自分を律して生活を確立したうえで、その余剰分を推譲した(出しあった)うえで、地域で困っている者を助けようという順序がありました。
報徳の精神でお金を集めた際には、誰にお金を貸すべきかを皆の投票で決めた、ということもあったようです。
お金を借りるうえでも、地域に困窮の度合いや誠実さなどが認められて初めて借りられるという制度でした。
掛川の生涯学習運動と言うのは、そうした報徳記の考え方をベースにして、まずは自分をしっかりと律して、自分でできることはやれるようにしてから、周囲を助けたり助けられたりしよう、ということではなかったか、と思うのです。
掛川の生涯学習と報徳思想の親和性は、そういうところに垣間見られるのです。